ユーロ・ダンス・インプレッション

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今年のアヴィニヨンは暑かったし、熱かった。オフだけで1480公演! 短期間の公演もあるけれど、ほとんどの参加団体が、2~3日の休息日を入れて3週間の連続公演をするわけで、この小さな街にそれだけを受け入れる会場があること自体驚きだ。128会場のうち119が劇場。オフの事務所もそうだけれど、学校を借りたり、倉庫やガレージ、広い場所を仕切って劇場に見立てるところもあるし、この期間だけ「劇場」になる店舗もあるわけで、普段はどんな店なのだろうなどと想像しながら、小さな会場の内部を見ていた。サーカス/ヌーボーシルクも盛んで、少し離れたところにサーカス小屋を立てている。
数でいうとそのサーカスが22作品、ダンスは44作品で、ダンステアトルが17。このほかにコンサート、マリオネット、漫才、レクチャーなど色々あって、メインはやっぱり演劇作品。
日本からはたった2団体の参加で、日舞と琴の演奏という日本の伝統芸だけだったのは意外だったが、何しろアヴィニヨン・オフはお金がかかる。ほとんどの劇場は貸し小屋なので、長期にわたる賃貸料とスタッフへのギャラを払わなくてはならない。劇場との契約によっては、入場料でまかなえるけれど、決して儲かるわけではなく、運良く気に入られて次のステップにつなげられれば御の字というのが実情だ。
毎年参加している花柳衛菊は、金銭的には大変だけれど、ここが唯一長期間連続で踊れる場所なので、積み重ねることがひとつの訓練だと思って参加しているし、さらにお金がかかるけれど、他の団体の公演を見ることで、日本では見られないものを見ることができるので、自分の肥やしになると言っていたが、全くその通りだと思う。

ダンスだけに絞っても全部を見ることはできないから、どうやって選ぶか。それは、口コミ情報が恐ろしいほどの速さで駆け巡っているのでそれを利用するのが一番だが、そうでなければ後ろ盾のある公演を探すのが良い。イチ押しは、パリ郊外のルイ・アラゴン劇場と提携しているパランテーズ劇場での公演。ダンスは朝10時、演劇は夕方から。ルイ・アラゴン劇場でレジデンスをしているアーティストを送り込んでいて、前半と後半それぞれ1週間弱の会期で、1日の公演に30分ずつの作品を2~3作品紹介している。事前予約しないと満席で入れないこともあるので、予約は必須。ダンスに関しては、若手5人の振付家の作品が上演された。
メラニー・ペリエの「CARE」は、男女がそれぞれ組みになって、体重をかけ合う動きをベースに、人と人が触れ合う関係を表した。ゆっくりとした体重の移動から、倒れるように落下する体の一部を支える相手。速さを変え、向きを変え、シンプルな動きを豊富なムーブメントで見せた。
アマチュアを使ってその人生を見せる作品を多く作っているミカエル・フェリッポーの「Juste Hrddy」は、20歳の男の子の物語。街でたむろしていたら芝居をやらないかと誘われて、生まれて初めて演じた作品が、麻薬の取引がテーマ。マルセイユという場所柄、日常がそのまま演じられたのではないかと想像する。そのリハーサル中に徴兵されて軍事訓練。また街に戻ってボクシングや、ストリートのヒップホップにも手を出したらしい。そして今、アヴィニヨン・オフでソロで踊って、自作のソロ作品も披露して、大きな拍手をもらっているわけで、人生何が起こるかわからない、一瞬先は闇なのだとつくづく思う。出会ったものを拒まずに受け入れることが人生の幅を広げていく、そんな若者の人生に笑い、頷き、微笑ましく思った。
日仏ハーフのサチエ・ノロは、背高ノッポの相棒との微笑ましいデュエット「mA」。形の面白さにアクロバットを加え、黒い衣装から赤や黄色のビビッドな色が現れる。本公演に向けての製作過程なので、完成した作品を見るのが楽しみになる。
サンドリーヌ・レクーランの「Icöne」は、街で見かけるワンシーンを取り入れてのヒップホップ。なかなか進まない列にイライラしながらも、さて自分の順番が来れば他人の迷惑顧みずに長話を始めたり、ぶっ叩かれてもありがとうと笑顔で握手する人、一瞬のアクロバットを携帯で自撮りする人など、いるいる、こんなやつ、と頷きながら見た。30分の抜粋なので、完全版を見ないとなんとも言えないが、前半のテンポの良さに比べて後半は平坦になって、長く感じてしまったのが残念。
同じ抜粋でも、きちんと30分に収まっていたのがシルヴェール・ラモットの「Ruines」。まずは、1m90cmありそうな大男が両腕を上に伸ばして、ひとりの男を持ち上げて出てきたのに圧倒された。そしてその後は正気を失ったかのようにだらりとした男を、立たせ、おろし、抱えての見事なデュエット。ふたりが生と死をテーマにした絵画のようなポーズを取った時、この作品は壮大な人類の歴史を語っているのだと思った。この静かで力強いデュエットが素晴らしかったが、これを演奏するギタリストにも驚いた。1本のギターを右手で弾き、左手で横に立てた別のギターを爪弾く、つまり同時にふたつの音色の違うギターを弾いているのだ。そして、その存在がいい。ふたりの動きを静かに見て、何かの思いに吹けるように遠くを見、ゆっくりと舞台を移動する。音楽とダンスに少し距離を置いて存在していたことが、生と死を分け合ったふたりを静かに見守る語り部のようで、人類の歴史を感じさせる広がりを感じた。
ルイ・アラゴン劇場は、他にもラファエル・ドローネイ、ジャン・ガロワ、ミスカル・アルガーなど、今フランスで注目の振付家をレジデンスさせていて、見逃せない劇場のひとつだ。http://theatrelouisaragon.fr

振付拡張センターのCDCイヴェルナル/Les Hivernalesは、朝10時から夜9時45分開演まで7公演を上演。新スタッフによるプログラミングの評判は上々で、ほとんどの公演が満席だったのはお見事。
朝10時のヤスミン・ヒューゴネットの「Le Récital des Postures」は、スイスセレクションのお墨付き。変わったポーズがポスターになったこともあってか、客席の8割強が埋まっている。束ねた長い髪の先っぽを足の指に挟んでポーズしたり、髪を左右に分けて横に引っ張れば、中世の貴族の肖像画。人体ポーズ図鑑というタイトルだけあって、たくさんの人物像が見えてくる。最後は腹話術的に声を変化させて、ひとりが百人にも化けた感じ。年配の男性客が多かったのは、裸のポスターに興味を持ったからかな。


「Le Récital des Postures」©Anne-Laure Lechat

12時のファブリス・ラマランゴムの「My (petit) pogo」は、子供向けに作られた作品だけれど、客席を見渡せば大人がほとんど。まあ、大人も昔は子供だったのだから一緒に楽しんでね、とラマランゴム自身の案内で始まった。子供の遊びに言葉遊び、グループでのスポーツや仕事でのチームワークの大切さを面白おかしくダンスにしている。最後に日常の動きが振付に変わっていくのを見せたのは、ダンスが身近なものだということがよくわかって面白かった。


「My (petit) pogo」©Pierre Ricci

コンテンポラリーダンスのメジャーなコンクールのひとつ(リ)コネッサンスで1位、2017年には著作権協会SACDで新人賞を受賞した「La Mécanique des ombres」は、シルヴァン・ブイエ、マチュー・デセーニュ、ルシアン・レイネの3人による作品。黒い布で顔を覆い、さらにフードをかぶった怪しい男が人形のようにギクシャクした動きをする。 立てそうで立てない人たちの危なっかしい動きは、アクロバットを含んで、ハラハラするやらおかしいやら。一風変わったコンタクトが新鮮だ。後半に中近東の音楽で3人が手を繋いでフォークロアダンスのように踊るシーンは、もう一味つけられそうに思ったのと、仕上げをもっと追求できるともっと面白くなると思った。また、フードが落ちてしまった時に慌てて被り直すのが何回かあったのが興ざめで、小さなことかもしれないけれど、こんなハプニングを振付に変えられるだけのキャパはあると思うので、次回に期待したい。


「La Mécanique des ombres」©Anne-Laure Lechat

ナン・マルタンは、とても生真面目にきっちり作品を作る振付家で、今回の「D’œil et d’oubli」も、作品の向こうにある背景を抽象的に感じさせる作品だった。電球の周りでアカペラを歌うダンサーたち。その小さな部屋を出れば、舞台に中途半端に積み重ねられた板のオブジェ。ひとつのもの、それは例えば「家」という安全で憩える場所を皆で組み立て、組み立てなおすことで、お互いの関係を見出すような、そこには大きなハプニングはないけれど、時代と共に人も流れている様子が感じられた。そして家を構成していた板が床に敷き詰められて、その中央に皆が寄り添う時に、また新たなことが起こるのかもしれない。


「D’œil et d’oubli」 ©Nina Flore Hernandez

韓国でオーディションをして作ったというベルギーの振付家アイレン・パロリンの「Nativos」。DOMS劇場との提携だったので、劇場を間違えた人もいたようなので、場所の確認はしっかりしたい。ひとりで戦っている男に女装して客に媚びを売る人、目玉をぐるぐる回したり、ひたすら歌い続けたり、自己の世界に没頭する風変わりな4人の男たちの、関係ありそうでなさそうな、真面目そうでおちゃらけな作品。ベースは武道の動きと見た。4人が揃って武道の力強い型の連続を見せるのは、なかなか迫力があるけれど、さて、何を言いたかったのかな。韓国語のセリフにフランス語の字幕スーパー、読んでいれば舞台が見えず、踊りを見ていれば字幕が読み切れずのよくあるパターンだったので、読むのを諦めたのがいけなかったのかもしれない。女装の男がスター気取りで客に媚びを売るのが面白かったが、突然ドレスを脱いで男になってユニゾンに加わったのには疑問が残った。あそこまでゲイバーママをやってくれるなら、オチを作って男になって欲しかった。ピアニストの迫力にも驚いたが、韓国人のミュージシャンSeong Young Yeoが素晴らしかった。祭りを盛り上げるようにまくし立てて喋り、ハリのある声で歌い、そして太鼓をたたく。その存在感に見とれてしまった。


「Nativos」©Mok Jinwoo

連日完売のブルーノ・プラデ振付「People what people ?」は、音楽が鳴ったら体を動かさずにはいられない人たちの集団。首を振り、頭を上下させ、身体中でリズムを刻む。揺れが収まったと思っても、しばらくするとまたリズムを刻んでいる。ここまでくると病気としか言いようがない。軽い動きならともかく、見ている方が心配になってしまうほど、激しく頭を振り、飛び跳ねるようにしてリズムを刻んでいる。1時間の間ほとんど休むこともなく体を動かし続けているダンサーの体力には脱帽。この半端じゃないエネルギーが人気の素なのかも。


「People what people ?」 ©Alain Scherer

夜9時45分からの締めの公演は、台湾のHsiao-Tzu Tienの「ザ・ホール」。ちょっとオカルト的で、悪夢を見ているようなミステリアスな作品は、真夏の夜にはもってこい。履こうと思った靴は宙に上がり、突然放り込まれた電話が鳴る。異常に背の高い黒髪の女が赤いランプシェードの光に浮かび上がり、顔を見せることなく狂ったように頭を振り、どこからともなく現れた女たちに囲まれる。門の外では女たちが叫んでいる。聞き取れないたくさんの声、そして静寂。家の中なのか外なのか、現実なのか、悪夢なのか。 出演もしている台湾の振付家のHsiao-Tzu Tienは、4人のダンサーの個性を活かしながら、テンポよくシーンを構成していた。ダンサーのレベルも高く、今年のイヴェルナルでは、いちばんのお気に入り。


「ザ・ホール」©chang-chih chen

この作品もそうだが、今年は特に台湾勢が元気で、独特な作品を送り込んでいる。人形劇、ヌーボーシルク、ダンスが2作品の合計4作品のうち3作品を見たが、どれも強烈でほぼ満席。超笑ったのがサーカス集団のFormosa Circus Artによる「How Long is now?」ものすごく高いレベルのアクロバット技術を持っているはずなのに、ちっとも見せてくれない。客の期待を大きく裏切り、電子レンジでポップコーンを作って食べるだけ、ふたりが重なって食パンを持つから何かが始まるのかと思えば、ひとりがパンを食べて、もうひとりが食パンを重ねて枕にして寝るだけとか、どこがヌーボーシルクじゃい! と言いたくなるのだけれど、台湾の人民服まがいの服装で、表情ひとつ変えずに真面目に取り組んでいるのが超おかしくて、会場は爆笑の渦。モップにほうきにハンガー、あらゆる種類の洗剤容器に水道管のつまりを解消するポンプまで、家庭にあるものばかりを使ってのパフォーマンス。それでもちょっとは芸を見せてくれて、ジャグリングは穴の開いたビニール袋からこぼれ落ちたオレンジで。今度こそはアッと驚く技を見せてくれるのかと思ったら、背中合わせになったふたりの間にオレンジを入れて、さてふたりが背中を押し合えば、フレッシュジュースの出来上がり! どこまでオチが続くのやら。ここまでやってくれたらお見事! というしかない。


「How Long is now?」 ©Formosa Circus

この公演のすぐ後は、ティムー・ダンスシアター(Tjimur Dance Theater)の「As four steps」。顔に白い線を描き、民俗衣装をモチーフにした白い衣装で力強く踊る。始終4拍子のエレクトリックな音楽、このリズムとエネルギーの強さに飽き始めた頃、ダンサーたちは指をかざして「イタ、ルサ、トゥル、スパットゥ」と繰り返し続けた。これが「1、2、3、4」だと理解した頃、独特な声で歌い始めた。この作品は、台湾の原住民のひとつであるパイワン族の文化をベースにした作品だったのだ。これを知らないと面白さはわからない。パイワン族の純粋な血を引く振付家のバル・マディリンの振り付けで、4人のダンサーのうち、男女各ひとりがパイワンの血を引いているという。パイワンの祭りで踊られるダンスの「四歩舞」をベースにした「アズ・フォー・ステップス」。ルーツを現代にレミックスさせた秀作。台湾は、オフに参加して今年で11年目。国がこうして応援してくれるのはなんとも羨ましい。


「As four steps」©Jhan-Lun

もうひとつ、ダンス専門の劇場がゴロヴィン劇場。11時から22時15分まで8作品を上演。見た中で特に印象に残ったのがエドワール・ユの「Meet me harfway」。中央の小さなスポットの周りをゆっくりと回る影。そこに絡むもうひとつの影。ゆったりと流れるような動きは、まるで無重力の中を漂っているよう。そのふたつの影は触れ合うことはないのに、とても強い関係が見える。男女のいわゆる恋愛関係ではなく、人類のヒューマニズムが感じられた。そうか、これは宇宙なのだ。太陽の周りを回るふたつの惑星。それは地球と月の関係にも見えた。次第に動きが激しくなり、ふたつの体はくねりながら交わっていく。するともうひとつの塊がゆっくりと回り始めた。新しい惑星の誕生のように、自転しながらゆっくりと中心に向かっている。そして3人が出会った時、ギャラクシーが起こった。
ゆっくりとした動きは非常に難しい。目玉の動きが一瞬飛んだだけで、動きが切れてしまう。特にこのような小さな劇場では、一瞬の集中力の欠落が観客を遠ざけてしまうことがある。それがこの50分間、全くレベルが下がらず、動きが早くなっても。無重力の宇宙が広がり続けたのだ。これはかなり高度なテクニックと精神力の持ち主でないとできない技だ。
振付し、自らもメインで踊ったエドワード・ユは、オリヴィエ・デュボアとホフェッシュカンパニーで踊っていたという。やっぱり! それだけのことはある。2014年からは毎年各地で賞をもらい、2016年には福岡ダンスフリンジフェスティバルで観客賞を受賞している。2017年2月にはその福岡フリンジフェスティバルで、同名の作品を太田垣悠と初演している。今回は太田垣の代わりにエリン・オレイリーが踊っていて、フランス版と日本版があるようなので、今度は日本版をぜひ見てみたい。また、日本でもワークショップをしているので、興味のある方は要チェック。


「Meet me harfway」©Jean Couturier

オレ・カムシャンラの「Focus」は、女性ダンサーのエメリーヌ・ニュエンが素晴らしかった。背を向けてマイクの前に立ったラファエル・スマジャ(11時から自作のソロを上演していたが見逃した)のお尻をキックする姿に、いじめっ子の姿を見出して、過去の辛い思い出が重なり、嫌な気分になったのだが、そのあとのエネルギッシュな踊りにあっという間に引き込まれた。スピーディーでメリハリのある踊りがヒュー、ビューという強風が吹き荒れるような音にぴったり合っているから、臨場感がある。ふと舞台脇を見れば、カムシャンラがミキサーを操作している。そうか、踊りに合わせて音を操作していたのだ。種明かしがわかっても、面白いものは面白い。このあと、スマジャが踊り、カムシャンラが加わってのトリオとなり、三人三様のニュアンスがいい味を出していた。


「Focus」©Jess Farinet

ヤン・ラバランの「Contrepoint」は、 黒い幕、黒い衣装に映える腕の動きが印象的。男女ふたりが同じような動きをするのだけれど、微妙に違ったり、時々ずれてまたきっちりと合ったり、方向を変え、離れては寄り添う。このミニマルダンスの流れはスパイラルし、延々と続き、飽きることはない。シンプルゆえにごまかしのきかない作品で、緻密な構成に見入った。


「Contrepoint」©JEAN-LOUIS FERNANDEZ

オフのプログラムを見て、これは絶対に見逃さないぞと思ったのが、デイヴ・サンピエールの「Néant360」。ポスター写真が、スモークの中で脚光に映える静かな男というイメージだったので、これはいつもと違うシリアス路線かなと思って行ったのだが、大外れ。会場に入った途端、客席ど真ん中にビニールを被った金髪の人がブツブツ言っている。「ちょっと~、あなた何してるの! なんでそんなところに座るのよ! 私はね、さっきからここにいるの。見えないの?!」「まあ、あなた素敵ね。そうそう、私の隣に座ってね」あちゃ~、困ったなあ、変な人が会場に紛れ込んでる。本番が始まっても、この人は叫び続けるのかしら、などと思っていたら、なんとこの人がサンピエールなのだった。遅れて来る観客に「開園時間前には来るものよ!」と怒鳴り、最初から騒がしい会場は爆笑の渦。大きなビニール袋に包まれたまま、よちよち歩いて舞台前に現れて、これがコンテンポラリーダンス! と叫びながらピナ・バウシュの作品やケースマイケルの「FACE」を真似し、ビニール袋から出てくれば素っ裸で、「写真はダメよ。FBにでも乗せられちゃったら大変なことになるから」。カツラを取れば、シリアスな場面に早変わり。さっきまでの人とは別人だ。いびつな動物のような動きをしたり、ゆったりと踊ったり。馬鹿騒ぎをしているけれど、実はベースがちゃんと鍛えられたダンサーなのだ。カツラをつければ、奇想天外なおバカをし、取ればシリアス。まるで二重人格者。しかし、これがサンピエールが日々感じていることなのだという。自分の中の人間性と動物性。時にはその両方でもどちらでもない自分を感じるという。ザッピングするように次々と変わるシーン、しかもそれが尋常ではない。ハチャメチャやっているように見えて、実はきっちり計算している。けれど、舞台では何が起こるかわからないから、容赦無くとことんやる。この1時間だけでも物凄い体力を消耗する作品なのに、完全版は6時間で、劇場にもよるけれど、2時間半くらい演じたいという。最後はビニール袋に入ったまま、ゴムでつられて空中を舞い、なんでもありのめちゃくちゃパフォーマンスみたいだけれど、実はものすごく繊細で、細かく計算しながら作品を作る人なのだ。
実は私が見た翌日に、健康を害したために公演は中止となった。とことんやるのもいいけれど、あまり無理しないでね。(Oulle劇場)


「Néant360」©Ingrid Florin

ダンス作品として見応えがあったのが、アデルザック・オウミ(Abderzak Houmi)カンパニーX-Presseの「Paralleles」。以前に「FTT」を見て、やるな~と思った振付家の新作。口コミ威力で連日満席の大盛況。城壁の少し外なのに、秀作には人がちゃんと集まる。女性ふたりのデュエットで、まずはホリゾントの白い蛍光灯の光に照らし出された背中の動きに集中する。ヒップホップがベースのコンテンポラリーダンスで、テクニック的にも舞台での存在感も含めてとにかくよく鍛えられている。まだ若いダンサーたちなのに、驚くほどの高テクニック。しかも若さゆえのエネルギーがあるから、最後までテンション下がらずガンガン押してくる。男顔負けのヒップホップテクニックに、女性らしいコンテの動きが入って、メリハリがあるし、黒の下着があっという間に赤のワンピースになり、伸びる生地を効果的に使って振りに入れている。振付家は男性だけれど、女の美しさと強さと優しさを、肉体的にも精神的にも知っていて、それを見事に引き出している。全くあっぱれだった。(Fabrik劇場)


「Paralleles」©seb Dechatre

5メートル四方という小さな空間なのに、最後まで飽きさせずに見せたのがマガリ・レシューの「Anima-Hommage à Jean-Cocteau」。ジャン・コクトーへのオマージュというタイトルが、人を呼んだのかと思ったら、それだけではなく、ダンスの構成もよくできていた。これもほぼ満席。小さな会場でも人が入らない公演はたくさんあるからね。スクリーンの前で薄布を被ってポーズをとり、本人とそのシルエットの関係が面白い出だしに引き込まれ、コクトーの作品を投影したスクリーンの後ろで踊ればシルエット姿となる。中央にスクリーンがあるので、動ける範囲は狭いのだが、ライトをうまく使って狭さを感じさせない。モダンダンス系の踊りで、これといった新鮮味があるわけではないのに目が離せないのは、その踊りがシャープでキレがあり、動きが豊富な上にきっちり形に入るのが面白いから。誰が見てもわかりやすいというのは、ひとつの強みだ。


「Anima-Hommage à Jean-Cocteau」©Patrick Varotto

アヴィニヨンは確かに市場ではあるけれど、客が入らなければ元も取れないどころか、評判も出ないわけで、プロに見出されて作品が売れることを期待しながら、大衆ウケを狙うのも大切なこと。観光気分で来る人がほとんどだから、わかりやすくて楽しいのを望む人は多いはず。また、会場が小さいために、細かいところまで目の当たりに見えてしまうから、ちょっとした集中力の欠落など簡単に見破られてしまう。客入りが悪くとも、上演する以上見に来た客を満足させるべきだろう。好き嫌いは別問題。一生懸命さが心を打つこともある。口コミがモノを言うアヴィニヨンでは、明暗がはっきり出る。演じる側がいかに作品に入るか。それがモノを言ったのが、エルリンの「No pain no danse」。バレリーナを目指していたのにヒップホップが面白くなって、それならトウシューズでヒップホップを踊ってしまうエルリンの物語。コンクールにも恋にも失敗して、慰めてくれた親友と飲みに出かけた後に事故に遭って、親友を亡くし、自分も車椅子生活に。でも、懸命のリハビリの末に踊れるようになって、フラれた男をフリ返し、コンクールの審査員のひとりから特別に決選出場の案内を受けるという、元気をくれるストーリー。テレビドラマにありそうな話だけれど、この構成がうまい。衣装替えのあるソロとは思えない場面転換と演出で、まるで舞台の続きのシーンのような映像を使い、この間に衣装替え。あるいはビデオ電話で話しているかのように親友と携帯で話し、臨場感あふれる演出がいい。そして何よりエルリンが完全に物語の主人公になりきっているから、現実味がある。笑い、泣き、怒り、心の変化がガンガン伝わって来る。クラシックバレエもヒップホップもできるけれど、正直なところ、ものすごくうまいとは思わない。でも、そんなの関係ない。出演者がちゃんと役にハマっていれば、見る側に伝わるものがある。それが大切なのだ。そのことを教えてくれた作品で、もちろん満席。(Archipel Théâtre)

昨年のオフで大成功を収めたヘリ・デュサン・カンパニーの「Finetuning」が戻って来た。口コミで行って見たが、やっぱり面白かった。11人のダンサーと5人のミュージシャンによる、中欧の民俗舞踊と音楽をベースにしたコンテンポラリー。男女組みになり、あるいは女性だけ、男性だけのパートになって、フォークロアダンスあり、コンテンポラリーダンスあり、歌ありの変化に富んだ構成。本来は木靴を履いていただろうに、ここではワンピースに白い長靴、しかも片足だけ舞台に残して去ってしまうお茶目なシーンが愛らしい。男性の踊りは、ロシアに近いのか、足を叩きながらの激しい踊りで、その体力と迫力には圧倒された。ミュージシャンも一人が何台もの楽器を演奏するので、音色が変わって賑やかなこと。音楽性豊かで明るい作品に、たくさんの元気をもらった。(エスパスAlya)


「Finetuning」©Mr. Gábor Dusa

オフには見知らぬカンパニーが多いから、「ダンス」のジャンルで検索して検討をつけていくのだが、「ダンステアトル」と言うのもあるし、演劇でもほとんど言葉がなくて身体表現メインの作品もあるので、見てみないとわからないことがほとんど。この「Mon chat noir」は、単純に「ダンステアトル」の検索で引っかかったが、チラシには「振付」の文字はなく、演出LIU Chang。動きがあってシューレアリズムという謳い文句にかすかな期待をしながら、受付で「ダンステアトルですか」と聞いたら、「いえ、演劇です」と即答され、中国語はさっぱりわからないから困ったなと思いつつも見てみたら、すごく素敵な演出だった。セリフはたくさんある。でも、その演出がダンスなのだ。ひたすら走る女、集団の叫び、上手と下手に縦に並べられた椅子に座った人たちが、それぞれの速度で進み、対面にいた人と出会ったところで、動きに変化が現れる。言葉は全然わからなかったけれど、淡々とした動きのひとつひとつが洗練されていて、見終わった後に爽やかなものを感じた。(College de la salle)

市内を歩いていたら馬に出会ったので、その公演を観にÎlot Chapiteauへ。初めての場所に行くのはワクワクする。城壁の外だけれど、法王庁の裏から無料の渡し船が出ているので、気分転換を兼ねて川渡りして少し歩いたら、だだっ広い草原にテント小屋があった。フランス人にとって馬は親しい動物だ。子供に課外活動を聞いたら「乗馬」と答えたのに驚いたことがあったが、あちこちに乗馬クラブがあり、子供が楽しそうに馬に乗っているのを見かける。ここも不便な場所なのに、親子連れで賑わっている。曲芸を見せるのもあるが、Equi Noteの「Face Cachée」は、ジンガロのような馬と人の芝居だった。走る馬の上でアクロバットだけでなく、空中芸もあって、バラエティに富んでいる。そこに小さな物語を入れて、涙や笑いを誘って奥行きを出している。ジンガロとは比べ物にならないほど規模は小さいけれど、4人の演者と5頭の馬の若いカンパニーを応援したい。ちなみにフランス東部県グラン・エストの推薦作品。


「Face Cachée」©Emmanuel Viverge

日本からの参加は2団体しかないと思っていたら、竹内梓が密かに踊っていた。フランク・ヴィグルーの作品「Aucun Lieu」にダンサーとして踊っていたので、国別検索「日本」には表示されていなかったのだ。ヴィグルーはミュージシャンで、彼のコンセプトにクルト・ダエスレーの映像と竹内梓がミリアム・グーフィンクの振り付けで踊る作品。夏季休暇中のスケート場が舞台だ。完全暗転の中に浮かぶ白い雲がゆっくりと形を変える。サイドからの強い光の中に浮かび上がった竹内は、ゆっくりと体をくねらす。白い螺旋が3Dを見ているかのような奥行きを見せて浮いている。その前で竹内の体がゆっくりと沈む。すごく良い感じだったのに、電気系統のトラブルでここまでしか見られなかった。前日も翌日も問題なかったのに、なぜ私が見た日だけ故障? 悔しいけれど仕方がない。どこかで完全版を見たいもの。プロモビデオで我慢。
http://aucunlieu.dautrescordes.com(La Manifacture Patinoire −スケート場は郊外なので無料バスで移動です)
ところで、竹内はミリアム・グーフィンクと出会ってものすごく体の使い方が変わり、体の芯から本質的に動けるようになったように思う。来年にはグーフィンクの新作にも出演するとのこと。自身のソロ作品も創作して、良いペースで活動している。


「Aucun Lieu」©Daria Popova

最後になったが、花柳衛菊は「雪と月」と題して、「雪女」「祭」「月恋」の3つのソロを踊った。決して恵まれているとは言えない会場設備に、衣装を変えての3作品を踊るのは大変なことだけれど、演出に工夫を凝らし、途切れることなく1時間を演じた。また、着物の美しさは格別で、特に「月恋」の衣装は、ポーズによって絵柄が袖から足元まで続き、こちらで売っている安物を本物と思っている外人には、大いなる目の保養になったはず。毎年連続上演が功を奏したのか、初日は満席で、街灯宣伝をしない花柳だけれど、ちゃんとファンはついているのだと確信。来年の参加を楽しみにしている。


花柳衛菊

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