ユーロ・ダンス・インプレッション

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Alice Laloy ''Le ring de Katharsy''
Joanne Leighton ''Le chemin du wombat au nez poilu''
Clinic Orgasm Society '' George de Molière''
Hofesh Shechter ''Theatre of Dreams''
Thomas Lebrun + Lifting
Le G.BISTAKI ''Tancarvulle''

テレビゲームの進化には目を見張るものがあるが、近い将来この作品のようなゲームが登場するのではないかと、背筋が寒くなる思いがした。「Le ring de Katharsy」それは等身大のアンドロイドによる死闘ゲームだった。


©Simon Gosselin

地下だろうか、白い蛍光灯の光に鉄パイプで組まれたオブジェが鈍く光っている。これがギュイ〜ンという音と共に上に上がると、後ろの台に女が、その両サイドに画面、そしてその前には白いテープで囲まれたスペースが見えた。ここでゲームが始まるのだ。ここにいる人間は4人ほど。それ以外はアンドロイド(人間そっくりだけれど、動きがぎこちなくて、感情がなく、与えられた指示に従うだけだから、アバターでもロボットでもサイボーグでもなくアンドロイドだと思う)だ。司会を務める機械仕掛けの女が歌い、画面にゲームのお題が表示される。両サイドのベンチに腰掛けていたアンドロイドたちから何体かが選ばれて、白い枠の中に現れる。そう、白い枠はリングなのだ。戦いのテーマは「食事を楽しんで」とか「赤ん坊をあやして」などのたわいもない言葉なのだが、「ブラック・フライデー」では、上から落ちてきたたくさんの衣服の取り合いで、相手から衣服を奪い、時に殴り合う。「食事を楽しんで」は飽食の現代を皮肉ったものだろうか、とにかく目の前のものを次々と食べまくり、指示に従ってたくさん食べた方が勝ち。赤子をあやすゲームでは、あやすどころか赤ん坊の取り合いになってしまう。等身大の機械仕掛けだから現実味があって笑うに笑えない。男二人の指示に従うアンドロイドだが、フリーズしたり足と手が絡まって動かなくなってしまったりしてなかなか思うようにいかない。6平方メートルの枠の外に出たり、壊れてしまったり反則をしたら負け。でも、うまくやればボーナスポイントももらえる。指示を出す男二人の興奮する様子に対して、黙々と片付けをする男数人が対照的。感情もなく、ただ決められた仕事をこなすだけなのだ。人間だけれど半分アンドロイド化している。

前作の、工場で小さなピノキオが大量に作られるというショッキングな「ピノキオライブ」では、子供達が人形のように動き、動かされるのが印象的だったが、今度は人間が実物大のアンドロイドを操るゲームという超辛口ブラックユーモア。そして装置が更なる演出効果を高めている。ゲームに必要な道具は全て天井から落ちてくるのだ。テーマに合わせて4人掛けのテーブルと椅子や5台のゆりかごが天井から落ちてきて、バシッと床に刺さる。ボタンひとつで設定完了の機械仕掛けなのだ。壊れたアンドロイドを片づけたり、掃除をするのが人間だということに救われる、たとえ感情がなくても、だ。アンドロイドは壊れても修理してゲームに再登場できる。そう、リセット可能の「物」だから。

「Le ring de Katharsy」。日本語に訳せば「カタルシスのリング」、カタルシスとは心に溜まった鬱憤が浄化されることだという。ストレスを発散させるために、画面よりも実物に近い方が迫力があって楽しいと思っている人たちのゲーム。近い将来、これが現実になるのではないかと不安になるが、アンドロイドたちが感情を持ち始めて、相手に触ることのあたたかみや、歌声に誘われて感情が芽生え、人間たちに反乱を起こす最後に救われた気持ちだった。

アンドロイドを演じた人たちの機械仕掛け的演技が素晴らしく、本物のアンドロイドかと思ってしまうほどで、壊れた人形のように手足がとんでもない方向に向いてしまうようなポーズには笑うより驚いた。人間らしさを取り戻したアンドロイドたちに拍手。そして、カーテンコールで笑顔を見せる出演者を見て何故かホッとするのであった。(4月10日)


©Simon Gosselin


©Patrick Berger

ホリゾントには満天の星。それを寝転がって見ながら二人の会話は始まる。宇宙の先はどうなっているのかしら? そして見つけた地表の小さな穴。手を入れたら、「暖かい!」。そこから二人の旅が始まる。不思議の国のアリスみたいに小さくなった二人の旅。アリスと違うのは、自然の中を旅することだ。

「Le chemin du wombat au nez poilu」訳せば「鼻に毛のはえたウォンバットの小道」。ウォンバットとは、オーストラリアにいる動物で、ウォンバットのような小動物になったつもりで草の間を走り抜けてみたり、海に潜って魚たちと泳いでみたり。ホリゾントいっぱいに映し出される自然の景色の中を旅する二人のダンサーの会話が心地よい。

子供向けの夢物語的とはいえ、大人だって楽しめる。だって陸に海に空、世界中の国を回れるから。地球環境は壊され続けているけれど、その中でたくましく生きている動物たち。私たちだってまだまだ自然を謳歌できる。残る自然を大切にすれば、ね。(6月5日)


©Patrick Berger


©Anoek Luyten

演劇は見ないし、モリエールの作品も見たことがないけれど、めちゃ笑った。プログラムには「馬鹿馬鹿しい演劇、ベルギーのジョーク、古典の笑い」とある。確かに馬鹿馬鹿しいよくある笑いだけれど、驚きがたくさんあって大笑いしたし、2時間弱があっという間に過ぎたのは、演劇にダンスに歌のミュージカル仕立てで、テンポよく場面が変わり、今時のジョークが織り込まれていたからだろう。

会場に入るなり、舞台の上では羊たちが動き回り、緑の衣装を着た女が観客に愛想を振りまいている。フランスでは、緑の服を舞台で着るのは縁起が悪いことになっている。それはモリエールが死んだ時、緑の服を着ていたからだという。それなのに、のっけから緑の衣装。装置の小木かと思ったら実は緑の服を着た人だったりして、そこにウジャウジャと羊たちがメェ〜と声をあげながら、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ、時に2匹で寄り添ってすりすり。もふもふの体に手足は黒のソックスで、なんともカワイイ。

モリエールの作品は見たことがないのだが、数あるモリエールの作品の一部を繋げてパロディにしているようだ。中世と現代のごちゃ混ぜシーンが次々と展開して、モリエールの作品を知らなくても笑える。いや、知っていたらもっと笑えたかも。

主な役を演じるのは5〜6人ほどで、一人3役はこなしていて、時には舞台上で衣装を着替えて早替わりしたり、演技をしていたかと思うと音楽を演奏したりして、多才な人達による舞台の表も裏もあってないような舞台。よく構成されていたし面白かったけれど、笑いを取るためのわざとらしさが時折鼻につくことも。でもまあとにかく、これだけ見せてくれたら元は取れた感。出演を一般公募していたのだが、誰が一般人だったのだろうか? と見分けがつかないほど、みんなよく演じていた。(5月13日)


©Anoek Luyten

客席から上がった一人の男。見知らぬ場所を尋ねるかのように、様子を見ながら慎重に前に進んでいく。目の前には幕。この中には何があるのだろう? あ、隙間があるから入ってみようかな。するともう一枚の幕。そこにするりと入った男が見たものは?

劇場では毎日のように作品が上演されていて、演目は毎回変わる。悲しい作品もあれば、楽しい作品もあるし、ホラーに殺人、ダンスに歌に演劇もある。中に入ってみなければ、そこで何が行われているかわからない。外から見れば無言の箱、でもその中では…? 劇場は見知らぬ世界を旅するところなのだ。

その切り抜きがここにあった。ザッピングをしているように、場面が変わる。シェクターの他の作品に見られるような、照明による素早い場面転換。上手にいたグループの照明が消えると同時に別の場所で全く趣の異なる場面が展開されている。テレビや映画を見ているように場面の温度が一瞬にして変わるのだ。そして今回は数枚の幕が左右に移動することでも場面転換となる。その場面がずーっと続いていて、私たちはそこに突然遭遇したかのような感覚でザッピングが続く。その続きを見たいと思っても、次の瞬間には別の場面になっている。そのテンポの速さとダンサーたちのブレのない動きに呆気に取られていると、移動式の幕がはけて、ホリゾントにかかった大きな幕を全員が見上げた。出演者も、我々観客も、皆が同じ方向を向いて幕を見ている。幕、それは劇場の入り口であり、そこに入らなければ旅は始まらない。

「テアトル・オブ・ドリームス」

劇場は作品を見に行くのではなく、未知の世界を旅するところなのだと気づかせてくれた。ちょっと目から鱗というか、自分の「当たり前」の意識を壊してくれた、劇場がテーマの作品。

タイトルはフランス語と英語が混ざっている。今後の活動をフランスに向けているのかなと、ちょっと憶測してみたりして。(5月21日)


©Ulrich Geischë


©Grégoire Delano / La Hutte Studio

60才以上のアマチュアグループ「リフティング」。コメディ劇場専属で、1年を通してのトレーニングのほかに、毎年一流の振付家による作品を上演するという、なんともリッチな環境の団体だ。昨年はフィア・メナール、今年はトゥールのCCN率いるトマ・ルブランによる作品だ。

カラフルな服を纏った出演者たちが舞台後方に一列に並ぶ。並んだだけなのに劇場の大きさに引き込まれた。なんという空間構成! ルブランの作品でいつも感じる空間の重み。ここでもそれがはっきり感じられる。そこにこのグループのダンス指導者のティエリー・ラフォンが現れて奇妙な踊りを披露して、その後は出演者たちの出番となる。日常の感情や動きをベースにした踊りは、数人の対話だったり、独り言だったり。ダンスを職業とした経験のない壮年の人とは思えないほど動きは豊か。ただ残念だったのは、舞台が広すぎたこと。大会場の空間を埋めるほどの存在感は感じられない。皆が遠くで踊っている印象なのだ。やはりここにプロとアマチュアの空間意識の違いが出てしまったようだ。また、ダンス作品にしようと心がけた意図が裏目に出た感じで、プロのラフォンの踊りと素人たちのレベルの差が開きすぎてしまったのも気になった。これが小劇場の空間なら親近感が湧いて、別の印象を得たかもしれない。ちょっと残念だった。(5月28日 以上全てLa Comédie de Clermont-Ferrand )


©Grégoire Delano / La Hutte Studio


©Grégoire Delano / La Hutte Studio

パリ11区主催のフェスティバル「オーンズ・ブージュ」。毎年5月に開催されていて、今年は22日から25日まで、11区のあちこちで行われる無料公演。無料で17演目が見られるというのはありがたい。無料とはいえ、いくつかの公演は事前にチケットをゲットするべきなのだが、なくても入れる場合が多いと聞いて行ってみたのが、G.ビスタキの「Tancarville」。

バスティーユ広場からロケット通りに入り、ダンススタジオのハーモニックに行く途中のスポーツ用の広場だ。前は通っても中に入ったことがなかったが、こんなパリの中心地にスポーツ広場があるとは知らなかった。座布団と椅子席が設けられた屋外公演。5月中旬はすでに日が長く、開演の午後8時半になってもまだ明るい。

ダンス的なサーカスと言う謳い文句に期待しながら開演を待っていると、身体中が白い布で覆われた人が一列になってゆったっりとした歩調で出てきた。砂漠の遊牧民を連想させたのは、頭に白いターバン、身体中を白い布で覆い、果てしのない砂漠を歩き続けられる頑丈な革靴が見えたからだ。やがて彼らは向きを変えて客席に向かって歩きだし、止まった。顔が見えない白い塊が無言で立つ様子は不気味。そして、太鼓のような規則正しいリズムに合わせて、体を小刻みに上下に揺らし始めると、なんとその振動で布がずり落ちて、顔が見えた。あら、髭面のおじさんたちじゃん。そして体が見えて終いには白い下着一枚になってしまったのだ。そして架空のボールを腰で打って、それを下着で受け止めるゲームが始まった。のっけから予想外の展開に唖然。その後はこの白い布が活躍する。実はこの布、シーツなのだ。これがスカートになり、何本もあるロープに引っ掛ければお化けのダンス。綺麗に畳んで頭に乗せれば、なんと中世の貴族のカツラになる。これには爆笑した。ただの白いシーツがここまで百変化するとは予想もつかなかった。

白が基調なのか、白いコーヒーカップとソーサーのシーンでは、中国風の曲に乗っての踊りが可愛い。途中、カップやソーサーでのジャグリングがあるが、取り損ねれば皿は割れるわけで、その時のリアクションが可笑しい。「あら〜、割れちゃったわね〜」「まあよくあることで、これもご愛嬌ね〜」などと言う会話が聞こえてきそうな表情に大笑い。生の公演にアクシデントはつきもので、それを即興で難なくやり過ごしてしまうから、わざとなのかアクシデントなのかさっぱりわからないところがすごいし、非常に綿密に考えられて構成されているのに、すっきりシンプルに見せる演出が見事。

カーテンコールでは、シーツの畳み方の見本を見せて「では、皆さんでこのたくさんあるシーツを畳んでみましょう!」と観客に後片付けも頼んでしまう抜け目のなさ。もちろんみんな喜んで、楽しんでシーツを畳んでました。

無料公演となるとこんなに人が集まるのかと、ちょっと驚いた一夜でもありました。(5月16日フェスティバル・Onze Bouge)

G.ビスタキのウェブページはこちらから

作品の抜粋はこちらから

     

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