ユーロ・ダンス・インプレッション

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9月からシーズンが始まり、今年は見るだけでなく体験もして、新たな発見があった。トークやワークショップは振付家や作品を知るためには必須と実感。

今回の紹介作品
・ジョアキム・モデ「Welcome」
・ジゼル・ヴィエンヌ「エクストラ・ライフ」
・オリヴィア・グランヴィル「L'Unité Mobile d'Action Artistique(UMAA)」
・マルレーヌ・サルダナ&ジョナタン・ドゥリエ「Les chats, ou ceux qui frappent et ceux qui frappés」

2年前にアヴィニヨンで見て面白かったし、当時は30分に縮小されていたので、今回は全編を見られるとあって期待して行った。
この作品の面白さは、無表情で超スローで動くだけなのに、喜怒哀楽を込めたセリフを腹話術で語る、つまり無表情な顔と笑いを誘うセリフと声とのギャップだ。2年もツアーしていれば内容は濃くなるわけで、前回より声の起伏が大きくなっていた。ちょっとやりすぎかなと思う場面もあったけれど。これが最後まで続くのかと思ったら、動かない口が動いて舌が出てきて、動物のようは素早い動きになって、地面が揺れているのかガタガタと振動しながら服を脱いで去っていくというストーリー。正直なところ、後半は意味がよくわからなかったのだが、振付家曰く、閉じ込められた状態を解放して自由になるということだったと。
舞台と会場の関係が繋がらなかったのは、会場が大きすぎたからだと思う。振付家も同じことを言っていた。やはり作品は空間が大事ですね。また、後ろの席では微妙な口の動きが見えないから、セリフは録音されたものだと思った人もいたみたい。作品の面白さがうまく伝わらなくて、ちょっと残念。


©Festival Parallèle M.Vendassi&C.Tonnerre

この後、この作品のシニアバージョンを作るとのことで、取材させてもらった。「Welcome New Wave」壮年版だけれどニューウエーブ。
集まったのは素人ばかりの65歳以上の男女10人。髪が真っ白の、ダンス経験ゼロとはっきりわかる人たち。大丈夫かなと余計な心配をしてしまう。しかも練習スケジュールが変わっている。12月初めに3日間の練習の後は1月4日と5日に練習をして、2日間休んで8日が本番。たったの5回の練習、しかもクリスマスと正月を挟んで1ヶ月の休み。プロのダンサーならまだしも、素人の老人(失礼)にできるのだろうか、と心配してしまったのだが、幕を開ければ15分を完璧に演じ切ったのだ。これは本当に驚いた。

セーヌ134号で竹内梓さんが言っていたことは本当だった。1ヶ月の休憩期間は空白ではなく、冷静になって考える期間。それぞれが自分のリズムで作品について考えたり、新たに出会ったものを持ち寄るのだ。ひたすら作品に没頭するのではなく、距離を置くことで視野が広がるのだ。そして、朝から夕方までの長いリハーサルと、振付家も交えての昼食時間のおしゃべりが仲間意識を生み出したこともよかったのだと思う。本番の日だって、午後にお茶から始まる。お茶でリラックスしてからウオーミングアップして、そしてゲネをして、短い休憩をとってから本番。このゆったりスケジュールで緊張感なく舞台に上がれたと、出演者は言う。
短期間に集中して詰め込めば良いというものではなく、時間をかけることで熟成するというフランス方式に、納得!

この作品には、今回のシニアバージョンの他にヤングバージョンもあるそうで、それぞれを比較してみるのも面白いかも。(2024年10月10日クレルモン=フェラン市コメディ劇場/シニアバージョン1月8日ブーム・ストラクチュール)

死や葛藤をテーマにし、実際に演じる人とマリオネットを使って独特の世界観を持つジゼル・ヴィエンヌの2023年の新作「エクストラ・ライフ」。近親相姦の被害にあった兄と妹と、影のようなもう一人の人物で描かれるディープな作品。

駐車場の車の中。パーティで一晩中踊り続けた興奮が冷めやらないのか、姉はポテトチップを食べながら、弟はタバコをふかしながら、ラジオから流れる声を真似たり、話の内容をパロったりの二人の馬鹿騒ぎが続いている。しかし、一歩車外に出たとたんにトラウマに襲われる。闇に紛れる影に怯え、死の恐怖に包まれる。しかしまた車に戻れば、二人の笑いが戻ってくる。トラウマから逃れようとしても、心の奥には常に闇が広がっているのだ。
剥き出しの舞台に車が1台。二人の顔は車内灯で照らされている。車外に出て葛藤に悩まされる時にだけ出るスモーク。霧のように全体を包むスモークと、地を這うスモーク。そして二人が見えない壁に閉じ込まれているかのような一直線の雲の光。照明とスモークで心理状態を映し出すヴィエンヌの見事な演出。そして、心象風景を描く時に見られるスローモーション。怒り、恐怖、孤独や葛藤がゆったりとした動きの中に全て込められている。「クラウド」に見たスローモーションに繋がるが、それとは異なる感情がここにはあった。

緊張とパニックがピークに達した時、後部座席から取り出したマリオネット。子供だ。強姦されて生まれた子供だろうか。生きているのか死んでいるのか、仮死状態なのか、歪んだ顔がチラリと見える。動かない、いや、女は動いたと叫ぶ。そして全てを忘れるかのように、ビートの強い音楽とレーザー光線の中で踊りふける3人。

2時間弱という長さを感じさせない演出と、3人の出演者の存在感に圧倒されると同時にずしりときた。このような心の悩みを抱えている人は多いからだ。これは作られたストーリーだが、現実にありうることだから。


©Estelle Hanania

この上演と同時に「JERK」映画版が上映された。2008年に初演された作品が13年を経た2021年に映画化されたのだ。出演はジョナタン・カプドゥヴィエル。実際にアメリカで起きた猟奇的連続殺人事件が題材で、残酷な表現に思わず席を立ちたくなるのだが、これを演じたカプドゥヴィエルの演技に引き込まれた。機会があれば是非、と勧めたい。
また、2010年初演の「This is how you will disappear」もここ数年再演されて世界を回っているので、これらを見ればヴィエンヌの作品の流れが見えるだろう。(2024年11月27日クレルモン=フェラン市コメディ劇場/映画「JERK」は同劇場協賛でLa Jetéeにて)

エクストラ・ライフの公演の数日後に、この作品をベースにしたワークショップに参加した。床に横になって、自分の体を感じるウオーミングアップに始まり、作品中のスローや早い動きをして、翌日は作品の一部を演じた。出演者によるワークショップだから、ジゼルの思いがじかに伝わってくる。2日間にわたって出演者と意見を交換し、作品の一部に実際に触れることで、作品をより深く感じられたのは収穫だった。
近年、見るだけでなく体験をする企画を催す劇場が増えているので、機会があれば参加してみるのも良いと思う。


©Marc Domage

パリ・オペラ座バレエ団のスジェの座を捨て、コンテンポラリーダンスに転向してドミニク・バグエのカンパニーの中心的メンバーとして踊り、現在国立振付センターCDNラ・ロシェルの芸術監督のオリヴィア・グランヴィルの新しい企画がエルメス財団のフェスティバル・トランスフォームの一環としてパリを始めいくつかの都市を廻っている。
「L'Unité Mobile d'Action Artistique」略してUMAA。大きなテントの外に人が集まっている写真では内容がよくわからなかったが、6日間にわたり、朝から深夜までのイベントのほとんどが無料なら行くしかないでしょ。しかもコメディ劇場と芸術学校、そして2025年6月には国立振付拡張センターになるブーム・ストラクチュールの合同企画。「公共の場でみんなと一緒に」と言う謳い文句が何を意味するのか。行って、見て、確かに「新しい形のパフォーマンス」を楽しんだ。


©Marc Domage

まず初日。朝10時からのワークショップはパスして、夕方6時から夜10時まで芸術学校でのパフォーマンスを見た。建物の中かと思ったら屋外と言われ、極寒の中(気温は5度くらいだったと思う)お茶のサービスで体を温めながら待つこと10分。フランス式なので、時間通りには始まらない。するとやってきた1台の車。そこから降りてきたイ・ファン・リン(マチルド・モニエの下で活躍していた個性的なダンサー)ともう一人の男性が路上パフォーマンスを始めた。道路を封鎖していないから車は通るわけで、向かってくる路線バスに怖気もせずに踊り続けたのには大笑い。運転手は笑いながらダンサーが退くのをじっと待ち、「良いね」のサイン。乗客も怒るわけではなく、笑って見ている。寛容なフランス人に感謝。通りかかる運転手や人の反応を観察するのも面白い。いろんな人がいます(笑)


道路で行われたイファンの即興 ©Masumi

道路で転がり、観客の中に飛び込んだパフォーマンスの後は、ガラスの建物の中で行われる集団を路上から見る。ガラス張りの壁は建物自体が舞台になる。コンセルバトワールの生徒たちだろうか、カラフルな衣装が夜の街に鮮やかだ。


芸術学校内のパフォーマンスを外から見る ©Masumi

しかし、寒い。1時間寒風の中で冷え切った体を温めるべく、学校内でのダンスコンファレンスへ。ダンスを見るだけでなく、振付家が残した功績を分析してまとめた言葉は的を得ている。ダンスを視覚的に見ることに慣れている私にとって、批評家が出した本を読むのは苦手だ。頭が言葉で凝り固まってしまう私には、気ままに開けたページの一部を読むだけでも新たな発見があることを知ったのは収穫だった。長い文章は苦手だが、こうして一部だけ読むのもありなのだ。


テントの中での即興のカーテンコール ©Masumi

この後は芸術学校前の広場に設置された大きなテントへ。ここでは6人のダンサーの即興が2時間以上繰り広げられた。グランヴィルを含めたダンサーが、入れ替わり立ち代わりで踊る。テントだからなのか、わざとなのか、とにかく寒い。うっすらと霧がかかるような内部で、冷気のミストを出してわざと寒くしているのではないかと思ったが、テントだから夜の冷気が直なのだろう。気温は0度、いや、2度くらいと思いたい。白いテントは雪のかまくらを思い出し、配られた毛布を羽織って貧乏ゆすりで体を温めながら見る。面白いから席を立ちたくないのだ。個性的なダンサーたちが、風変わりな衣装を着て、思いもよらな動きをする。しかも踊るたびに全く違う印象を受けるのだ。ダンサーたちのイマジネーションの多様性には敬服した。
心は熱いが身体は冷え切り、家まで走って帰っても体は温まらず、熱いシャワーでなんとか正気を取り戻した。
この後、コメディ劇場のエントランスホールに設置されたテントで同じ演目を見て、前回とは異なる即興を見せてくれた。ダンサーたちの豊かな個性とボキャブラリーの多さは、予想をはるかに超え、時間を忘れて見入った。


コメディ劇場の中に設置されたテント ©Masumi

「カラオケ・ダンス」というのには超盛り上がった。ドームのようなテントの壁のあちこちに映し出される映像を真似して踊るというもので、チャップリンや「雨に唄えば」のダンスシーンからお笑い芸人のたわいもない動きなどが間髪入れずに映し出されて、それを真似るのだが、マース・カニンガムの難解なダンスに至っては、真似するのは到底無理。
レトロから現代までの様々なシーンを真似して踊って、ドーム内は笑いと熱気で溢れていた。短いシーンの連続だけれど、結構汗かきました。
この後はこのままディスコとなって、深夜まで盛り上がり。


カラオケダンス ©Masumi

ワークショップも充実していて、オリヴィア・グランヴィル自身によるワークショップでは、初めてコンタクトを実感できたことが最大の収穫。今まで何人かのコンタクト・ワークショップを受けたけれど、いまいち納得できない部分があったのだが、今回はマジで実感。たった1時間なのに、的確な指導だったからだと思う。さすがだ。

他にもたくさんのイベントがあったのだが、日程の都合で参加できず、残念。

今回のパフォーマンスの主な出演者は、
Olivia Grandville, Marie Orts, I-Fang Lin, Christophe Yves, Aurélien Labenne, Mai Ishiwata
(2025年1月16日〜18日クレルモン=フェラン市コメディ劇場/エルメス財団共催フェスティバル・トランスフォーム)

上記のオリヴィア・グランヴィルの作品に出演していた石渡舞が出演するというので、ちょっとミュージカル。
幕が開いたら猫だらけ。しかも猫の鳴き声でベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を聞くとは思わなかった。猫は夜に散歩するということですかね。いちゃつく猫、敵意を剥き出しの猫、壁によじ登ってはずり落ちる猫、ここは猫ワールド。その猫たちが人間社会をズバリと切り込む。皮肉とユーモアいっぱいのセリフと歌にう〜ん納得。変化に富みすぎた歌は字幕が出てくれて助かった。日頃の鬱憤をそのまま舞台で代弁してくれている感じで、こんなのあるある、そうだよね〜と憂さ晴らしができてスッキリした。
猫だけれど歌って踊って喋って、怒って笑って。ダンサーとしてしか知らなかった石渡舞がどなり、がなり、歌い、踊りで大活躍。故カルロッタ池田が自作のソロを後世に託したダンサーは、舞踏、コンテンポラリーダンスだけでなく、歌に芝居にと域を広げている。こうしてスキルを深めている人を見ると嬉しくなる。今後も期待していますよ〜
(1月18日クレルモン=フェラン市コメディ劇場/エルメス財団共催フェスティバル・トランスフォーム)


©Philippe Lebruman

     

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