10月25日から始まった「バランシン/勅使川原/バウシュの夕べ」。勅使川原の作品を踊りこなすのは容易なことではないので、少しでも踊り慣れた後半に所見。
「アゴン」©Agathe Poupeney / Opéra national de Paris
バランシンの「アゴン」で幕を開けた公演は、ブルーのホリゾントをバックに、モノトーンの衣装の男性4人の後ろ姿が眩しい。マチュー・ガニオ、カール・パケットがサラサラと踊る横で、ふたりの若手が目を引いた。ポール・マルクとパブロ・レガサだ。マルクはスジェだが、ソリスト役を踊る機会に恵まれてメキメキと頭角を現していて、ふたりのエトワールに挟まれても全く引けを足らない。将来はエトワール期待されているだけある。一方のレガサは、昇進試験では2年続きでマルクの次点。良いものを持っているのにマルクには及ばず、来年の昇進試験ではマルクに追いつくべく、スジェの座を獲得してほしいものだ。こうして4人が並ぶと、華奢な体つきが弱さを感じさせることもあるが、柔軟な体から発する広がりは誰よりも大きく見えた。もう少し骨太な踊りができるようになると、さらなる存在感が出るように思う。期待できる新人だ。
最初のパ・ド・トロワでガニオを取り巻くのは、ファニー・ゴルスとロクサーヌ・ストヤノフ。ストヤノフの足の美しさは格別で、パッセが腿の上部にまで達するのに見とれたが、踊り始めればゴルスの存在感に引き込まれる。隣の人が「おばさんだと思っていたけれど、踊り出したら素晴らしかったですね〜」と感動していた。腕から肩、首にかけての使い方が綺麗で、見栄えのするダンサーだ。
2番目のパ・ド・トロワは、ポール・マルクとパブロ・レガサ、そしてオニール八菜。オニールはそつなく踊っているけれど、私の期待度が高すぎたのか、感動するほどの踊りではなかった。何かが吹っ切れていないようで、軽快なリズム感も感じられなかった。この後のパ・ド・ドゥでのカール・パケットとアマンディーヌ・アルビッソン、そして、ラストシーンでアルビッソンとオニールが対で踊る場面では、その違いは一目瞭然だった。例えば回転後のアラベスクでは、アルビッソンがピタリと形に入るのに対して、オニールには微妙なズレがあり、これが踊りをクリアーに見せない原因ではないかと思った。完璧な安定感と余裕がまだ見えないのは、ちょっとしたジレンマに陥っているのかもしれない。日本人初のエトワールを期待しているだけに、ぜひ頑張ってほしいものだ。
「アゴン」(中央)オニール八菜©Sebastien Mathe / Opéra national de Paris
20分の休憩後は、勅使川原三郎の新作「Grand miroir/グラン・ミロワール」。白いスポットにゆらゆらと人影が現れ、諏訪内晶子の持つ手が動いた途端、別世界が広がった。非常に早くて細かい旋律が舞台という大海原に流れると、ダンサーたちが体をくねらせ、腕を上から下へと流しながら、ものすごい勢いで舞台を駆け抜けて行く。それはまるで嵐に揉まれた木の葉のようだった。風に煽られてくるくると回り、そしてふわっと浮いて、また飛ばされる。息つく間もないほどの早い動きの連続のエネルギーに圧倒され、クラシックをベースとするオペラ座バレエ団がここまで踊りこなしたことに、バレエ団の奥の深さを感じずにはいられなかった。
「Grand miroir/グラン・ミロワール」©Sebastien Mathe / Opéra national de Paris
勅使川原は驚くべき成功をした。エサ=ペッカ・サロネンのバイオリンコンチェルトの音楽が原点だというが、同時に引用したシャルル・ボードレールの「音楽」という詩がそのまま踊りになっていて、舞台は嵐と凪の大海原だった。不安と恐怖で体が動かなくなってしまったかのようにギクシャクと動き、やがて崩れて行くその後ろにぼんやりと現れた集団は、幽霊船が静かに進んでくるような不気味ささえ感じた。そしてまた風に煽られて散っていく。そして凪。静けさと、穏やかさが一面に広がる。ボードレールの「絶望の大きな鏡」となったガルニエ宮の大海原を、たくさんの人生が駆け抜けて行った。
エミール・コゼット、マチュー・ガニオ、ジェルマン・ルーヴェ、エロイーズ・ブルドン、リディ・ヴァレイエス、ジュリエット・イレール、アメリー・ジャオニデス、グレゴリー・ゲラー、アントニオ・コンフォルティ、ジュリアン・ギルマーの10人が織りなす勅使川原の世界。近年あまり見ることのなくなった「落ちる」動きが懐かしく、ここに勅使川原の集大成があるように感じた。
作曲したエサ・ペッカ・サロネンは、2008年〜9年にかけてこの曲に9ヶ月を費やして作曲した。蜃気楼/幻想、心臓の鼓動/震えパート1と2、そして永別の4つの部分から成り立ち、勅使川原の作品のために書いたのではないのに、音楽と振り付けと詩が見事にひとつになっていた。作曲家自身がタクトを振る公演を見ることができなかったのは残念だったが、諏訪内晶子のバイオリンを聞けたのは、宝だった。あの速い曲をスルスルと奏でる指の動きの見事なこと。思わず食い入るように見てしまったが、目的はダンスなので、あえて耳で感じるようにしたが、研ぎ澄まされた音色は美しく響き、力強くもあり繊細な音色に包まれた30分だった。
「Grand miroir/グラン・ミロワール」マチュー・ガニオ©Sebastien Mathe / Opéra national de Paris
そして最後は、ピナ・バウシュの「春の祭典」。これが始まる前の休憩は、客席にいることを勧める。というのは、舞台に土を巻く作業が、すでに芸術なのだから。15人ほどの黒服のスタッフが、大型のゴミ箱を倒して土を出し、でこぼこの山をそれはそれは綺麗にならす。その見事さに毎回ブラボーと拍手が湧く。スタッフもそれを知ってか、全員が後ろに並び、一礼して去って行く。それは、これから生贄を捧げる作品と神聖なる舞台への敬意とも取れた。興奮気味の客席を一瞬で静まり帰らせたのが、走り出たダンサーたち。その緊張感に会場は一瞬にして静まり返った。
「春の祭典」©Agathe Poupeney / Opéra national de Paris
オペラ座版ピナ・バウシュの「春の祭典」は何回か見ているが、初めて見たかのような新鮮さを感じた。生贄は前回見たときと同じアリス・ルナヴァンで、その渾身の演技は何度見ても心打つものがある。前回と同じことといえば、踊り終わった直後のカーテンコールは放心状態で、まともにお辞儀もできなかったこと。完全に魂が抜けている。3回目のカーテンコールになってようやく笑顔を取り戻した。見る方も踊る方も何かに取り憑かれた感じで、作品の威力とはこれほどまでに強いものなのかと、改めて感じた。ヴッパタール舞踊団が踊るのとはまた違った、洗練された「春の祭典」も悪くない。(11月11日オペラ座ガルニエ宮)
「春の祭典」アリス・ルナヴァン©Sebastien Mathe / Opéra national de Paris
ダンス・アーカイブ・プロジェクト・イン東京2017
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ダンス・アーカイブ・プロジェクト・イン東京2017「ウイリアム・クラインX大野慶人Xアノーニ「たしかな心と眼」が12月15日〜23日まで、寺田倉庫にて開催される。
様々な実験的表現を通して、観客とともに現代の舞踊文化を次世代に継承することを目指し、3Dなどの新たなアーカイブ手法を取り入れながら、ウイリアム・クラインの未発表写真やアノーニとのコラボレーションなど、展示とパフォーマンスを交えた9日間。
BNPパリバ財団の協賛で、無料公演もあるが、過去のものを未来に繋げる活動は大切なことなので、支援するための寄付に協力したい。
http://www.dance-archive.net/jp/news/news_06.html
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