今年に入って最初の独断偏見評です。出来上がった作品のうんちくを述べるのは簡単ですが、作品を創るのは大変なことです。ましてや作品は生きているもの。舞台、ダンサー、スタッフ、そして観客のコンディションで今日と明日の出来は大きく変わってしまう。たった1回見ただけで評を書くのには気が引けますが、全てを見ることは出来ないので仕方がありません。ですから独断偏見評です。では見た順番に。今年もよろしく。

ここ数年で、ジャンヴィラー劇場の1月のヒップホップフェスティバルは固定客をつかみ、どの公演もほぼ満席。今フランスではヒップホップが大流行り。「ヒップホップとの出会い」と題されたシリーズは、ストームのVIRTUELEVATIONとポケモン・クルーのSIII…SI。前回簡単に触れたが、再度。
VIRTUELEVATION/ストーム
ちょっと手の込んだヴィデオとダンスのストームは、ピザの配達人物語。届け先のビルの中での迷想が、彼の視線としての映像と、その横のエレベーターを想像させる四角い囲いの中の踊りで見せる。その想像力の豊かなこと!
ドアが開いたら宇宙まで行ってしまうとは思わなかった。地下駐車場での水漏れ事故は、音の使い方が上手い。今時のヒップホッパーたちのようなアクロバットはないが、元祖ヒップホップの動きを多様に組み合わせ、シンプルだが基本がしっかりしている動きは見ていて明解だ。お得意の想像力の豊かさで、ユーモア溢れる作品に仕上げていた。
(C)Julien
Rocher
SIII…SI/ポケモン・クルー
何と派手な経歴! ここ数年で、フランス、ヨーロッパ、世界のコンクールで優勝し、しかも現在リヨン・オペラ座がレジデンス。どこにオペラ座を本拠地とするヒップホップグループがあろうか?
そういえば昔、リヨン・オペラ座に入る時、入り口のフロアーでぐるぐる回っているヒップホッパーたちをかき分けで中に入った記憶があるが、あのガキどもが世界チャンピオンに輝いたということだ。コンテンポラリーダンスをするのではなく、あくまでも彼らのヒップホップを突き進めていくのが目的で、ストーリーを見せるというよりテクニックを短いシーンで次々と見せていくが、なかなかの派手な演技、その上アイディアは豊富で、テンポよくシーンが展開する。さすが優勝するだけはある。最近よく見る洗練されたグループではなく、見るからに路上でたむろす少年たちという匂いがぷんぷんしているところが良い。

(C)Julien Rocher
「シテ・ダンス・バリエーション」と題されたシリーズは、この劇場の企画で、コンテンポラリーの振付家がヒップホップダンサーに作品を振り付けるというシリーズ。まず、選ばれた振付家とダンサー達が一緒にワークショップをし、その後振付家がオーディションをして、選ばれたダンサーに作品を振り付ける。今回は、アフリカン・コンテンポラリーで力をめきめきと伸ばしているジョージ・モンボイと、中国で活躍した、フランス在住の中国人ガン・ペング
乗り換え/ジョージ・モンボイ
雑踏、ここは駅のようだ。浮浪者がベンチで眠りこけ、清掃人がせわしなく掃除をする。やがて電車が到着し、、、というストーリー。客の問い合わせにいらだつ駅員、恋人達の旅立ち、ひたすら慌ただしいだけのアフリカ人、そこに先ほどの浮浪者と清掃員が絡んで、わさわさと事が進んでいく。さて、全員無事に列車に乗れるのだろうか?
駅という日常と非日常の境をテーマに、さもありそうな場面が展開するが、ばりばりのヒップホッパーに、アフリカンダンサ−とコンテンポラリーダンサーが絡まって、動きのリッチなこと。役柄描写も的確で、モンボイの作品創りの上手さが光った。この人は作品の見せ方を知っている。
(C)STEVE
APPEL
バッハ5版/ガン・ペング
バッハをバックにしたヒップホップで、チェロの生演奏が響き渡るが、バッハである意味が見いだせなかった。ただ、シーンの転換を司ったパーカッショニストがいい味を出していた。(1月7日シューレーヌ・ジャンヴィラー劇場)

新作を見るつもりが、日にちを間違えて02年の「冬の旅」を見ることになった。これは、ダンスオペラで、ダンスを期待するとはずされる。ダンサーは動くオブジェ的存在で、バリトン歌手のシモン・ケーンリーサイドがメインという感じ。彼の歌と動きはすばらしかった。また、照明が美しく、影の使い方が効果的で、例えば最初のシーンでは、ダンサーと歌手は離れているのに、影では手をつないでいるように見えるなど、演出は工夫され、照明の色使いも見ていてきれい。ダンス作品として見なければ良い作品だと思うが、トリシャ・ブラウン公演と銘打っていたので、パリの観客はダンスを期待したためはずされた感が強く、歌手とピアニストにはブラボー、挨拶に出てきたブラウンにはブーイングの嵐だったが、そこで怖じけないのがブラウンの強さ。2度も出てきてブーイングの中でニコニコ笑って挨拶していたのが印象的だった。改めて言うが、ダンス作品としてみなければ素晴らしい仕上げになっていた。(1月9日パリ・オペラ座ガルニエ)

(C) Se´bastien Mathe´

05年暮れは白鳥の湖が多く上演されたが、締めのパリ・オペラ座はヌレエフ版を上演し、さすがオペラ座とうならせた。この日は、20歳でスジェからいきなりエトワールになったサラブレッドのマチュー・ガニオと、エトワールに君臨するオーレリー・デュポン。何と行ってもガニオは生まれながらの王子の気品を持ち、あこがれの白鳥の王子という難役を見事にこなしていた。美しい。それに彼の年齢が王子の年齢であることも良かった。丁寧な踊りでほれぼれする。一方のデュポンは、ガニオを始終リードする感じで、アラベスクの美しさと安定したバランスには何の不安もなく、彼女の自信がみなぎっていた。特に三幕の城内でのオディールは、ロットバルトとの企みを(これは振付けも良いのだが)目配せなどの細かい演技で上手く演じ、そのロットバルト役のステファン・ビュリヨンは、演技はもちろんのこと、踊りの間の取り方が上手く、まだスジェということが信じられない。
約1ヶ月にわたる上演期間中12組のカップルが踊り、踊り手によって作品のイメージは大きく変わるものだが、ルグリとデュポンコンビでは、ルグリがリードする完璧なカップルだったそうで、デュポンが相手役によって踊り方を変えていたのも興味深い。さて、日本公演ではどんな踊りを見せてくれるのかが楽しみ。(1月10日オペラ座ガルニエ)

(C)Maurizio Petrone

あの、近未来的な装置の中でびしばし動くダンサー達が印象的だったシャルロワ・ダンスを率いていたフレデリック・フラマンが、気候も雰囲気も全く違うマルセイユに引っ越して1年が経った。前のマリー=クロード・ピエトラガラ芸術監督の方針に対してダンサーがストライキをし、バレエ団の行方が危惧された経緯があったが、現在はバレエとコンテンポラリーを両立するバレエ団としての道をしっかりと歩き始めたようだ。この作品は既に昨年7月のマルセイユ・フェスティバルで世界初演が行われたもので、日本語に訳せば「輝く都市」となる。フラマンの作品趣向は変わらず、シャープな動きとダイナミックな装置に驚かされる。今回はヨーロッパで活躍するドミニク・ペローの超宇宙的空間の装置の中で行われた。ちなみに彼はパリのミッテラン国立図書館の建築デザインをしている。銀色のメタリックな板が舞台前面上方から吊るされ、ダンサーは同じ素材の可動式の板を移動しながら空間を変えていく。近未来空間に生きる人々を描き、そこに天井から映したダンサーの動きや、CGなどの映像を映し、次元を変えて見せる。メタリックの板が巨大なビルの窓を連想させ、その無機質な窓によぎる生活空間から、生身の人間の感情を見とれるシーンは現代社会を描写しているようだ。しかし全体的にダンスは、フラマン得意の押しの強い踊りで、パワフルだ。また、日本人ダンサーが3人もいる(シャルロワ・ダンス移籍した遠藤康行、マルセイユ・バレエ団の宮澤身江とバレエ団付属学校の加藤野乃花)からか、時々東洋的なイメージが織り込まれ、無国籍の未来空間にいるような気になる。この中で使われていたジョージ・ヒラーの音楽のフレーズが、フランスの友人の頭にこびりついたようで数日間口ずさんでいたが、この曲がヨーロッパ人から見た東京の印象を曲にしたものだというのも興味深い。全体的な印象としては、シャルロワ・ダンス時代のテイストと変わりないが、バレエダンサー達が短期間でフラマンの動きをこなしたのはさすが!と言いたいし、不協和音のあったカンパニーをここまでまとめたフラマンの統率力も素晴らしいし、これからバレエダンサーならではの動きの質を生かした作品が生まれて行く予感を感じたのが何よりの収穫だった。(1月12日クレテイユ芸術館にて)(文中写真(C)Pino
Pipitone)
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