ユーロ・ダンス・インプレッション

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ヌレエフの生誕75周年を記念して、パリのパレ・デ・コングレで2日間に渡り行われた「ヌレエフ&フレンズ」には、世界のプリマたちが集まった。この企画は、ヌレエフ基金の後援と、ボルドー国立バレエ団のシャルル・ジュードとティエリー・フーケの協力によって企画され、ボルドー・オペラ座バレエ団による「Petite Mort」(イリ・キリアン振り付け)で始まった。休憩を入れて2時間半の響宴は、興奮の中、瞬く間にすぎていった。
「ラ・シルフィード」を踊ったベルリン国立バレエ団のヤーナ・サレンコとマリアン・ヴァルターの息のあったカップルはすばらしかった。特にサレンコのつま先はしなやかそのもので、アテール、ドゥミポワント、そしてポワントへの移行の滑らかなこと。ほんの一瞬の動きが、スローモーションで見ているように目に入ってくる。2人ともジャンプの着地の音がほとんどなく、身体から音楽があふれるような踊りが際立っていた。
イングリッシュ・ナショナルバレエ団に芸術監督として移籍したタマラ・ロホは、英国ロイヤルバレエ団のフェデリコ・ボネッリとの「マノン」の他に、英国ロイヤルバレエ団のリュペール・ペンヌファーザーと「マルガリットとアルマン」の2作品に出演して、健在ぶりをアピール。ロホは繊細な演技と確固たる技術を持って会場を魅了したのは言うまでもない。また、フェデリコ・ボネッリの洗練された踊りにはため息が出た。


タマラ・ロホ(C)David Makhateli


フェデリコ・ボネッリ(C)Bill Cooper


リュベール・ベンヌファーザー(C)Alice Pennefather

「マノン」の情緒にあふれる作品の後は、ヘットナショナルバレエのハンス・ファン・マーネン振り付けによる「Two pieces for Het」。マイア・マカテリとレミ・ウォートメイヤーのシャープな踊りで、がらりと雰囲気を変えた。


マイア・マカテリ(C)David Makhateli


レミ・ウォートメイヤー(C)David Makhateli

この後パリ・オペラ座のオーレリー・デュポンとマチアス・エイマンの「ライモンダ」と続いたが、デュポンが登場した時に地味で重い印象を受けたのは、正直なところ意外だった。ところが、これが彼女のテクニック。地味に見えた登場は、落ち着きのある貫禄に変わっていく。プリマの競演、しかも作品の抜粋公演の場合、どのように作品を盛り上げるか。その点に於いてデュポンは卓越した技術を披露した。長い作品の一部を、ひとつの単独作品としてまとめた思慮深さに、会場の誰もが納得したと思う。マチアス・エイマンは、伸びのある踊りとジャンプで良かったが、第2部で踊ったヌレエフ振り付けの「Manfred」では、広がりのあるダイナミックな踊りと感情を込めた演技に、会場は物音せぬ緊張感で満たされた。


オーレリー・デュポン(C)Anne Deniau


マチアス・エイマン(C)Michel Lidvac

ボリショイ劇場のエフゲニア・オブラスツォワとドミトリ・グダノフは「眠りの森の美女」でロシアの貫禄を見せ、安定したテクニックと余裕のあるダイナミックかつ繊細な演技で魅了した。なお、エフゲニア・オブラスツォワは第1部でも「ラ・バヤデール」をエフゲニー・イワンチェンコと踊っている。


エフゲニア・オブラスツォワ(C)David Makhateli


ドミトリ・グダノフ(C)David Makhateli

マリインスキー劇場からはダリア・ヴァスネツォーワとエフゲニー・イワンチェンコ。ダリア・ヴァスネツォーワはまだ若いダンサーだと思うが、恵まれた容姿が印象的で、イワンチェンコのサポートで安心して踊っていた。
ラストはクレムリン・バレエ団のアレクサンドラ・ティモフェーワとイングリッシュ・ナショナルバレエ団のワジム・ムンタギロフの「ル・コルセール」。アレクサンドラ・ティモフェーワは丁寧でしなやかな踊りで、特にピルエットからアラベスクへの流れが印象に残った。最後のグランフェッテは完璧。ワジム・ムンタギロフの無難ではあるものの、安定してダイナミックな踊りで幕を閉めたのは、誰もが納得するところだった。世界のエトワールに酔いしれ、休憩を入れた2時間半はあっという間に過ぎた。


アレクサンドラ・ティモフェーワ(C)Valeria Komissarova


ワジム・ムンタギロフ(C)Andre Uspenski

第2部が始まる前に流されたヌレエフの映像は、収穫だった。まだ17歳、既に才能が開花していたバレエ学校の公演で踊る様子や、舞台だけでなくテレビのショーでタップダンスを披露するなど、普段では見られないような貴重な資料が紹介された。これらの映像はパリのCND(シネマテック・フランセーズ)の協力によるもの。CNDには貴重な映像が保管されているので、いつか時間に余裕を持って訪れたい。
最後は、出演者全員でのカーテンコール、そしてバレエの発展に貢献したダンサー、振付家、ディレクターなどが舞台に上がり、ヌレエフへのオマージュを讃えて幕を閉じた。(5月31日パレ・デ・コングレ)

映画作家のパトリック・ジャンとコラボしたこの作品は、映像効果とデジャヴュ的な演出で、あたかも一軒家のいくつもの部屋で起こる事件を目の当たりに見るような臨場感にあふれ、不思議な一夜を過ごした5人と、その心理を描いたサスペンス仕立てのダンス作品に仕上がっていた。
闇に浮かぶ一軒の家。そこに招待されたカップルの到着を知らせるチャイムの音に、異様に反応する家人夫婦と手伝いの男。渡されたコートに固まる人、目が合った瞬間に何かを察してお互いを警戒する2人の夫。彼らは招かれざる客だったのだろうか。夢か現実か、夜中に夫がいなくなったことに気づいた妻が見つけたクローゼットの奥の扉。そこから迷路のような廊下が続く。影に終われ、行き着いたのが小部屋。そこで見たものは、軍服を着た友人の夫と机を挟んでにらみ合う自分の夫。タイムスリップ? それとも夢? 5人の思惑に前世の因縁が絡み合う。
実際にカメラマンが舞台上で撮影した映像がホリゾントに流され、既に撮影された映像と混ざり合うことで過去と現実が交差する。また、舞台の装置も移動し、庭、サロン、寝室、廊下と一軒の家の状況が刻々と変わる。サスペンス的なストーリーがありながら、演劇に偏らず、あくまでダンスのムーブメントを通して作品を仕上げたのはさすがだ。そしてまた、ダンサーたちのレベルの高いこと。映画とのコラボは成功した。(5月16日シャイヨー劇場)


(C)Sergine Laloux

1984年に創られたというから、30年近くも前の作品の再演となる。当時、ローザスの初期メンバーで踊られた作品を、今回はアンヌ・テレサ・ド・ケールスマイケル、池田扶美代、ナディーン・ガナスの初期メンバーと、シンシア・ロエミ、タル・ドルヴェンで構成された。古い家のサロンを連想するような椅子に腰掛けて、フロアライトのオレンジ色の明かりに本をかざして朗読するダンサーたち。後ろには沢山の椅子が並べてある。身体を崩して座った女性たちと、舞台中央でスカートをまくり上げゆっくりと歩く女性。ああ、なんと時間を贅沢に使った作品なのだろう! 派手なムーブメントがある訳ではないのに、彼女たちのささやきが聞こえてくるようだ。
アクロバット的なダンス作品が氾濫する今日、これだけ押さえた動きで表現していた80年代のコンテンポラリーダンスの実力を目の当たりにしたことに、感涙に近い感情を持って見ていた。無駄をどんどん取り除き、時間の流れを感じて楽しむ。忘れがちになってしまったものを思い出させてくれた。ただ、現代の流れに慣れてしまった観客が、動きがなくてつまらないとばかりに帰っていったのは残念なことだ。(5月17日テアトル・ド・ラ・ヴィル)


(c)Herman Sorgeloos

マチアス・エイマンが踊る火の鳥の、まさに鳥のように軽やかなジャンプに見惚れ、プルミエール・ダンスーズに昇格したヴァレンティン・コラザントの成長ぶりに喜び、バンジャマン・ペッシュの「牧神の午後」の色気に溜息を漏らし、ロビンスの「牧神の午後」を見て、ロビンスのダンスにかける情熱をひしと感じた後の「ボレロ」は、パリ・オペラ座の新たなる面に挑戦した斬新な作品だった。
オーレリー・デュポン、マリー=アニエス・ジロ、アリス・ルナヴァン、ミュリエル・ジュスペルギィ、ジェレミー・ベランガール、ヴァンサン・シャイエなどのエトワールとプルミエダンサーが顔を並べているにも拘らず、主役を立てる構成ではない上、薄暗く、顔に黒い模様を描いているので、ダンサーを見極めようとするのは難しい。この、トップクラスのダンサーたちをコロスのように使ったシディラルビ・シェルカウイとダミアン・ジャレの勇気というか、信念がダンサーたちをここまで引き込んだのだろう。徐々に明るくなるステージで、彼らは歩き、回る。水が流れ波紋が広がるように数人の列ができては崩れ、するすると回る。白っぽいジョーゼットのスカートのような衣装は、トルコの旋回舞踊を連想させ、さらに舞台後方に降りてきた大きな鏡によってダンサーが空を舞うような錯覚に陥り、幻想の世界に引き込まれる。ボレロの繰り返しの多い曲がさらに効果を高めていたと思う。
シェルカウイとジャレは、ダンサーたちに首をつけずに回ることを要請したという。回転するためには正面を決めて首を切る動きが当たり前の彼らに、この要求はかなり困難なものだったと思う。これができていたのは、ジェレミー・ベランガールただひとり。習慣を変えるのは難しい。ただ、首をつけずに回ることで、この作品の意味が深まることは明確だった。
パリ・オペラ座のダンサーは、古典もコンテンポラリー作品も踊れるバレエ団。任期の最後に、大きな課題を提供したブリジット・ルフェーブルの功績をたたえ、バレエ団が更なる成長をすることを望んでやまない。(5月15日パリ・オペラ座・ガルニエ宮)


「火の鳥」(C)Agathe Poupeney / Opéra national de Paris


「牧神の午後」(C)Agathe Poupeney / Opéra national de Paris


「ボレロ」(C)Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

いつもの癖で、作品のストーリーやテーマを探してしまうのだが、単発的な動きや状況を楽しみ、最後に彼らの人物像が浮かび上がるという作品もある。リジ・エストラの作風はこのタイプだと思う。意味もなく痙攣し、しかもそれが延々と続き、倒れてまでも痙攣し、でも他の出演者はそれに反応しない。あるいは有名な絵画の構図のまねをしてみたり、狂ったように感情を変えてみたり、日常の動きをナンセンスな方向に拡大してそれらをつなげる。4コマ漫画みたいに、短いタームで状況が変化し、それが最後に表現者としての存在感と、ちくりとこの世を風刺する面白さでまとめあげる。紅一点のララ・バルザックの腹を割った演技が印象的だった。(5月16日シャイヨー劇場)

独特の作風で注目を浴び始めているマキセンス・レイ。心理描写を得意とするムッソー/ボンテ・カンパニーで踊っている頃から気になっていたが、ここ数年彼女自身の振り付け作品が評判を呼んでいる。レジデンスをしているエトワール・デュ・ノール劇場が3日間の公演を企画したら、彼女は日替わりで5作品を用意。全部は見られないので、バラエティーに富んだこの日を選んだ。
最初はビデオ作品の「Le temps du dedans」。5人の女性がおそらく同じ建物の、似たような造りの部屋で過ごす映像で、洗濯機の中に入ろうとしたり、多量に買い込んだ食料を片付けたり、わめき散らしたり、まあみなさん、誰も見ていないと思ってアホなことしてるわ、という印象だったけれど、ではそれがどうなるのかという結論もなく終わってしまったのは、ちょっと肩をすかされた感じ。クリストフ・ボンゾンのソロ「Aterite 1ère approche」は、女性的なジェスチャーのパフォーマンス。マルチタレント的なイメージがあったので期待したが、おとなしく終わってしまった。先入観が強すぎたのかもしれない。
さて、お目当てのマキセンス・レイは、語りの人とのコラボレーション「Rouge avril, un corps, une voix」。薄暗い中で彼女の黒い服と白い腕がゆったりと弧を描く。静かな声と緩やかな動きは、語りの言葉通り、生きること、生きていること、そしてそこは時間の流れがあることを証明する。語りのエレーヌ・ランスコットの静かだけれど強さのある声と、レイのすらりとした身体、そして実際の2人の立場がうまくとけ込み、きれいな作品に仕上がっていた。(5月18日エトワール・デュ・ノール劇場)

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