ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression


©Ula Blocksage/Opéra national de Paris

パリ・オペラ座から招聘されたタマラ・ホ率いるイギリスのイングリッシュ・ナショナル・バレエ団。演目は「ル・コルセール/海賊」、1997年初演のアンナ=マリー・ホームズ版だ。会場に入るとレトロなイラストの緞帳に目を惹かれ、雰囲気が盛り上がる。
始まってすぐにどのダンサーもテクニックがしっかりしているのがわかる。基本を徹底しているのだろう。回転、ジャンプとも素晴らしく安定していて、特にピルエットでは芯がはっきりと見えるのが気持ち良い。所見した日のキャストは、メドゥーラにアリーナ・コジョカル、コンラッドにオジール・グネオ(Osiel Gouneo)、ギュリナーラがローレッタ・サマースカーレス(Lauretta Summerscales)、ランケデムにジンハオ・ザン(Jinhao Zhang)、アリにヨナ・アコスタ(Yonah Acosta)だった。トルコ総督バシャ役のミカエル・コルマンは、同バレエ団の常連ゲストダンサー。
キューバ出身のオジール・グネオは海賊の首領コンラッド役で、ENBではゲストダンサーとして2015年から踊っている。背が高くスラリとした容貌が颯爽としているし、柔軟な体の持ち主で好感が持てる。難なくこなしていたのだが、コジョカルを持ち上げるリフトでひやりとした場面があった。グネオが片手を離し、コジョカルがグネオの肩に置いていた両手を離して片手リフトが成功したかに見えた途端にバランスを崩し、グネオの頭越しに落ちるかと息を飲んだ瞬間、グネオは一歩足を引き、両手で持ち直して支えただけでなく、プリエしてからコジョカルの体を宙に飛ばして体勢を整えてから受け止めるという、驚きのサポートを見せた。このほんの一瞬の緊迫と安堵に大きな拍手がわいた。
メドゥーラのコジョカルは愛らしく、しかも安定していて、愛するコンラッドとのデュエットが素晴らしかった。安定したテクニックは、感情表現を際立たせるものだとつくづく思う。テクニックを見せようとするのではなく、役を演じ、ストーリーを際立たせることを優先しているので、難しいパも感情表現のひとつとしてさらりと見せてしまうところはさすがだ。上記のバランスを崩したリフトの後も、まるでそれがおふざけだったかのようにグネオに寄り添って笑っていた。機転を利かせ、何事もなかったように振る舞うふたりがいかに経験豊かかということを見せた瞬間だった。
友人のビルバンド役のセザール・コラレスは、強さとメリハリのあるダンサーで、2013年のローザンヌ賞受賞者。当時の柔軟さそのままに、さらなるアピール度と役を演じる技術をつけて、しっかり成長している。
忠臣アリは、ヨナ・アコスタ。彼の高さのあるジャンプは、まるで空中で止まっているかのようで、簡単に写真に楽に収められるほどの滞空時間。一度だけ見せた眼を見張るようなテクニックジャンプには、会場全体がおお! と声をあげたほど。彼もオジール・グネオ同様キューバ出身のダンサーだ。
ネドゥーラの友人で美人のギュリナーラの、ローレッタ・サマースカールスは、役どおり美人で、綺麗な踊りをする。
奴隷商人ランケデムのジンハオ・ザンのアントゥ−ルナンの着地がグランプリエほど深いのには驚いたが、回転も安定していて、基本を忠実に実践していることを印象付けた。


©Ula Blocksage/Opéra national de Paris

日本人では、プリンシパルに昇格したばかりの加瀬栞が流れのある綺麗な踊りを見せてくれたのと、モナコ・グレース・アカデミー在学中の2015年にローザンヌ賞を受賞した金原里奈が、すでに役をもらって踊っていたのは嬉しかった。あいにくバレエ団のリードプリンシパル高橋絵里奈とプルミエアーティストの猿橋賢の踊りは見ることができなかったが、世界中から洗練されたダンサーが集結したバレエ団という印象で、パリ・オペラ座とは違うエネルギーを見せてくれたのは新鮮だった。
また、豪華で的確な装置と衣装を担当したボブ・リングウッドの手腕によるところも大きく、冒頭とラストの映像を巧みに使った嵐の場面が、ストーリーをより明確に表わす効果をもたらしていた。
フランス国外のバレエ団の公演もパリにはあるけれど、主に大きな多目的ホールでの上演なので味気がない。こうしてガルニエ宮で見ることができたのは幸運だった。奥行きと天井の高さと装置が必要なクラシックバレエを上演できる劇場が少ないということと、大人数のカンパニーを招待できるだけの予算がないということなのかもしれない。(6月22日オペラ座ガルニエ宮)


©Ula Blocksage/Opéra national de Paris

四角く囲まれた光の通路、水が張られた水盤。澄んだ音が響き、いつもの山海塾らしいイメージで始まった。「遠くからの声」「海の底のメタファー」「二つの場」「前兆、静けさ、震え」「化石の森」「緯(よこ)糸」の章から成り立つ作品は、「海の賑わい、陸の静寂」という副題がつけられている。人と巡り、場所と巡り、時と巡る。この作品に東北大震災へのオマージュを見たのは、照明が青くなり、海中のイメージになった時、海に飲み込まれた街を連想したからだと思う。陸の上とは全く違う海中の音、あるいは危機に陥った時に全ての音が消え、スローモーションで動いていくような感覚を思い出したからかもしれない。そして再び陸のシーンに変わった時、それは復興だと感じた。人の歴史は自然災害と共にある。自然災害を事前に防ぐことも避けて通ることもできない。受け入れ、乗り越えるしかない。そうして我々の歴史は続いていく。自然の恐怖と恵みと人の強さ、生きていくことの尊さと、生きていることの喜び。生きているからこの舞台を見、生きている人が目の前で踊っている。生きていることへの感謝の気持ちを感じながら、作品を見終えた。穏やかに見える作品だが、天倪の自然と生物への敬意は研ぎ澄まされた空間を広げ、宇宙へと広がる。
天倪は確かに年をとった。天倪の絶対的存在は以前と変わらないが、天倪とともに長年踊ってきた 蝉丸、岩下徹、竹内晶の3人が、より天倪に近くなったように思う。それは、天倪が彼らに一歩譲ったようにも思え、世代交代という人の流れをも感じさせた。これは以前には感じられなかったことだった。若手4人もよく踊り、山海塾の今後の方向性を垣間見たような気がした。(6月23日Théâtre de la Ville)


©Théâtre de la Ville


©Jeon Kang-in

今年はフランスにおける韓国年で、様々なイベントが行われているが、国立シャイヨー劇場のディレクターでもあるジョゼ・モンタルヴォは、韓国国立ダンスカンパニーに新作を振り付けた。
パッとついた明かりの中にカラフルなワンピースの女性がずらり。横一列に並んだ太鼓を一糸乱れず軽快に叩く。太鼓のドンドンという太い音と、横の金属の枠を叩く音とバチを叩くキンキンカンカンという音のリズムに引き込まれる。全くインパクトのある始まりだった。太鼓集団かと思ったら、次のシーンでは民俗舞踊とコンテンポラリーダンスのコラボレーションを見せる、多彩な芸術集団だった。チョゴリをこうして改めて見ると、西洋のドレスに通じるものがある。でも、色使いといい、高い位置のウエストの切り替えといい、シルクロードを伝わって韓国独自に発展したものかしらと想像が膨らむ。白いチョゴリの女性が優雅に踊り、先ほどの太鼓集団が加わる。ワンピースで同じ動きをすると、なるほど、スカートの下ではこんな動きをしていたのかと、覗き見をしたような、見れないものを見て得した気分。女性たちがひとつにまとまったところに、男が現れて、手を羽ばたく鳥のように動かしながら、アクロバットをしたり駆け回ったり。「ハーイ、僕を見て、愛してるよ!」と太鼓をたたきながらのナンパの連発。「うるさい!」とばかりに女性は猿のようにお尻を叩き男を追い払う。キーキーとこれまたやかましい。
民俗ダンスをベースにコンテンポラリーやアクロバットを加えた感じの振り付けで、ホリゾントには白をベースに薄い灰色の木やオブジェの映像。時には丹頂ツル。韓国には丹頂ツルがたくさんいたのだ。女性のゆったりとしたソロはツルのようだった。
2部は、travers du mondeというタイトルが流れ、風景が一変する。薄く水で覆われた砂浜を自転車でゆっくり進む人々。広大な風景に黒い人の列が柔らかい線を描く。靄がかかる早朝のような映像が息をのむほど美しい。そこにカラフルなビニール袋を持ったダンサー達が斜め一列に並び、旅立ちを意味する。そこからひとりが離れて、笑ったり泣いたり。先ほどとは打って変わって、ゴミの山をひとり歩く子供の映像が、自然を破壊しつつある我々の日常を映し出す。数え切れないほどのツル、そして水面が見えないほどの人で埋まった波のプール。田舎と都会。自然の美しさと人口の汚物。でもこれが現実の世界なのだ。
3部はラヴェルのボレロの曲で、民俗ダンスの動きをベースにマスゲーム的な動きが続く。泣いたり笑ったりする女性の周りで、大勢の人の掛け声や合いの手が入り混じる。正直言ってやかましかったが、これがモンタルボの韓国訪問の印象なのではないかと思った。単調な動きと激しい感情のコントラストを見せたかったのだと思うが、欲を言えば動きに繰り返しが多く、予想がついてしまう動きが冗長に感じられたのが残念だった。(6月21日国立シャイヨー劇場)


©Jeon Kang-in


©Jeff Kim

国立シャイヨー劇場の韓国年特別プログラムでは、上記のジョゼ・モンタルヴォ振り付け作品の他に、韓国の4人の振付家の作品が上演されている。中国や日本のことは多く語られていても、なぜか表舞台に現れなかった韓国の文化が、こうして大々的に紹介されていて、若手から中堅まで、韓国の今を知るには良い企画だ。
Sungsoo Ahn「Immixture」は、韓国伝統舞踊とコンテ、ヒップホップのミックスダンスだった。まずは、女性が韓国の伝統衣装を着て、緩やかに舞う。長い袖、ヴィヴィッドな色のロングドレスはフランス人には珍しいだろう。彼女と入れ替わりに出てきたのは、黒のシャツにズボンの女性。これまた韓国伝統音楽に乗っての踊りだが、時折バットマンしたり素早く回転したりの現代ダンスを入れながら、伝統舞踊をベースに踊る。先ほどの袖の長い衣装を着て踊ってもおかしくない感じ。そこに同じ衣装の女性が加わり、シャランシャランという剣の舞は、優雅な動きの中に鋭さがあって面白い。その女性4人の剣の舞いの真ん中には、イヤホーンをした男が、音楽に乗ってリズムを刻み、ヒップホップを踊り始めた。次の交響曲では女性の伝統舞踊ベースのコンテンポラリー。様々なダンスがミックスし、曲調も変わるので、テンポよくシーンが変わっていき、最後は現代風の黒い衣装のまま、伝統舞踊の短い動きをして終わる。
振付家のSungsoo Ahnは、韓国国立芸術大学の振り付けディレクターで、それゆえか少しアカデミックな印象を受けたが、韓国のダンスがコンパクトに散りばめられていて、今日の韓国ダンスシーンを知るには面白い作品だった。(6月17日Théâtre national de Chaillot)


©Park Sang Yun

「浄められた夜」 というアルノルト・シェーンベルグの題名をそのままタイトルにしたデュエット作品で、ケースマイケルの振り付けの幅の広さを見せつけた。というのは、一連のライヒの音楽を使った動きの面白さとダンサーのエネルギーで見せるような作品とは打って変わって、ドラマティックな物語を台本に、男女の駆け引きをこれまでにない手法で見せた。
むき出しの舞台に、月光のように斜め上から照らされた白っぽい光。ピンク系のワンピースの女性と黒のスーツの男性が短い動きをして、倒れた女性を後ろから起こそうとする男性。起こす途中の、その中途半端な形のまま、かなり長い時間静止したあと、不意に踊りを止めて、スタスタと袖に入ってしまった。音楽が鳴るわけでもなく、唐突な切り替えに、技術的なミスが起こったのかと思っていたら、今度は別の男性と出てきて同じフレーズを繰り返した。その少し離れたところには先ほどの男がいて、同じ動きをひとりでしている。1人目の男、そして2人目の男。別れと出会いなのだ。
新しい男に女は惚れているようだが、男はいずれ去ることを知っているのか、どこかで女を突き放している。それでも追いかける女。照明は変化することなく、ぼんやりと舞台の一部を照らしているだけなので、あかりから外れれば、ほとんど見えないのだが、この照明が人の心の明と暗を暗示しているようだった。感情そのままに激しく踊る女と、時に優しく、時に突き放す男は、闇の中でひとり激しく踊る。この駆け引きがなんとも官能的だった。ようやくふたりは結ばれたものの、男は女が寝ている間に去ってしまう。慌てて起きた女だが、しばらくして戻った男に少しの愛情をかけ、去る。そして男はひとり薄明かりの中にたたずむのだった。
官能的でありながら、感情に溺れず、かと言ってムーブメントだけに終わらぬ振り付けのうまさ、そして音楽や舞台空間の使い方は今までに見ない手法で、たった45分なのに、ものすごく凝縮された空間で、独自の美的感覚で作品を作り続けるケースマイケルには脱帽するしかない。(6月15日Théâtre de la Ville)


©Anne Van Aerschot


©Svetlana Loboff/Opéra national de Paris

5月27日から始まった「ジゼル」は、アマンディーヌ・アルビッソンとステファン・ビュリオンのキャストで幕を開けた。その後はドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオ、リュドミラ・パリエロとカール・パケット、ミリアム・ウラード=ブラームとマチアス・エイマンと続いたが、若手起用の1日だけのプログラムにエレオノール・ゲリノーとアルチュール・ラヴォー(ピエール=アルチュール・ラヴォー)が抜擢され、また、ゲズトダンサーとしてアルブレヒトに英国ロイヤルバレエ団プランシパルのワジム・ムンタギロフ(Vadim Muntagirov)がドロテ・ジルベールを相手に踊った。この中で終盤を踊ったリュドミラ・パリエロ・パリエロ/カール・パケット組を観た。
幕が開き、3e Scèneのザ・ウオーキング・ランドスケープで見たホリゾントが、飾られている。19世紀と変わらぬ手法で描かれ運ばれたホリゾントの絵幕だ。機械化が進む現代で、忠実に伝統を守る精神には感動すら覚える。
リュドミラ・パリエロのジゼルはとても清楚で、恋する乙女の繊細な感情が我が身のことのように伝わってくる。安定したバランス、しなやかな腕と上体の動き。確固たるテクニックがベースの動きは、感情を余すところなく伝えるものだ。また、アルブレヒトのカール・パケットは役をよく理解していて、羞らい、ためらうジゼルをイエスと言わせるリードの仕方は見事で、ふたりの恋の駆け引きは見応えがあった。
愛する人の正体を知ったショックで、少しずつ精神が崩れていくジゼル。彼女にしか見えないものが現れ、思い出とショックのトラウマに混乱し、劇的なショック死ではなく、するりと腕を抜け、崩れ落ちるような倒れ方は、誰もが予想しなかった「死」の現実に、かえって悲しみを深くさせる効果をもたらしていた。
農民のデュエットを踊ったフランソワ・アリュは有無を言わせぬ存在感と技術で観客をあっという間に魅了。定評のある高いジャンプに細かいバッチュ。正確な回転ジャンプとその着地。1枚の写真を見たかのように目に焼きついた。
ミルタ役のファニー・ゴルスは、まるで空を漂っているかのような細かいパドブレでの登場で、そこが人間界とは別の世界なことを印象付ける2幕の始まりを見せた。 安定したバランスで伸びがあり、腕の動きが綺麗なダンサーだ。冷たい意地悪なウイリーというより、悲しみを背負っている感じで、ジゼルの嘆願を躊躇しながら拒んでいるところに優しさが感じられる。ヒラリオン役のヴァンサン・シャイエは、良いダンサーだが、踊る場面が少ないので彼の良さを十分に堪能できなかったが、傲慢で暴力的なイメージではなく、ジゼルを一途に愛する村の青年だった。
リュドミラもパケットも控えめで、ふたりの静かな愛の確認が伝わってくる。パケットは珍しくアントゥールナンが乱れ、踊り疲れてこのまま倒れるのではないかと思ってしまったが、これも真に迫った演技なのかもしれない。パリエロの控えめながらも一途な命乞いに、ジゼルという人柄の優しさを感じ、とても良いものを見た一夜だった。また、コンセルバトワールの受賞者で構成された楽団を指揮したコーエン・ケッセルは、ダンサーの動きに機敏に反応してテンポを変える人なので、今回もダンサーの良さを十分に引き出してくれた。生演奏は指揮者の協力なしでは成り立たないからだ。パリエロが2回目のカーテンコールで指揮者と楽団にありがとうと言っていたことが、それを物語っていた。(6月13日オペラ座ガルニエ宮)


カール・パケット ©Svetlana Loboff/Opéra national de Paris


ヴァンサン・シャイエ ©Svetlana Loboff/Opéra national de Paris

6月3日から18日まで開催されたジュン・イヴェンツ。CDCとなって2年目のフェスティバルは、他のCDCとも提携して、さらなる安定感を持ったように感じた。ヴァンセンヌの森にあるカートゥーシュリーの中の3つの劇場を使って、パリとは思えない環境の中での公演に、都会の喧騒を忘れて、いつもと違った雰囲気で鑑賞するのもオツなもの。

一風変わった作風で注目されているモー・ル・プラデックは、音楽集団アンサンブル・レクテュスとのコラボレーションで、パワフルな作品を見せてくれた。
逆光のハロゲンランプが点滅する中、声なのか演奏なのかワサワサと落ち着かない中での観客入場。舞台前面に立つシルエット姿のダンサーの顔が、ほんの一瞬ついた明かりの中に浮かび上がれば、目の周りが真っ青。異様な化粧に驚くと同時にマイクを持ってロックコンサートまがいに声を張り上げる5人。しかし音楽は、ロックではなくパンチの効いた現代音楽。横一列に並んだ9人のミュージシャンを舞台のど真ん中に配置して、ダンサーはその前でスタンドマイクを持って、体をくねらせながらがなっている。いや、がなっているのではなく、音としての声を張り上げながら、マイクスタンドを移動して場所を作り、時にスタンドに身を任せて空に浮き、床に寝転がって体を震わせ、舞台中央を占領しているミュージシャンの合間を縫いながら激しく動いている。現代音楽に興奮したロックミュージシャンがトランスに陥ったように動く様はなんとも異様だし、そのエネルギーも半端じゃない。目の周りの青いドーランをいじくれば、化粧も乱れ、最後は円周に沿って走りながらの動きが高揚していく。カオティックに暴れまくっているという表現が正しいかもしれない。何がどうのということはないけれど、ダンスと音楽に圧倒された1時間だった。曲自体が強弱の激しいもので、エレキギター、クラリネット、シンセサイザーに金管打楽器が激しく音を交差させる。特にフルートなどの横笛担当の女性ふたりの音楽と動きが激しく、ミュージシャンもかなりの体力を要する作品だったようだ。音楽そのものがダンスになったような作品のパワーに圧倒され、それが翌日まで残り、ダンスで二日酔いになった気分で目を覚ましたら、モー・ル・プラデックが2017年1月からジョセフ・ナジの後を引き継いでCCNオルレアンの芸術監督となるというニュースを知り、納得。オルレアンでまた面白いことが起こりそうだ。(6月14日Théâtre de l’Aquarium)


©Konstantin Lipatov

ミュージシャンでもあり、振付家、ダンサーのフレデリック・グラヴァル。彼の独特な作風が気に入っているが、この2015年初演の「This duet that we’v already done (so many times)」も、間の抜けたような、それでいて真面目でおしゃれな作品だった。
男と女が開場時から舞台の上でウオーミングアップをしたり、見に来た知人と話をしていて、リハーサルのようなリラックスした雰囲気。客電が消えて始めようとしても、ああしたほうがいいとか、こうしたほうがいいとか、ふたりの間の日常的な会話が続いている。こうしているときは普通なのに、いざ客に見せるとなるとおかしなことになる。普通のようでどこか妙な動きをする女。変なポーズをとるけれど、鍛えられた体から発する動きはやっぱり綺麗だ。その女の横に立った男も、ひとりでいると問題ないのに、女の前に出ると不器用になる。ヘタウマダンスなのだが、ヒップホップともフラメンコともつかない動きは見たこともないもので、へんちくりんだが面白く、見ていて飽きない。なぜかしっくりいかないふたりなのだが、音楽がロックになったら、いきなり取っ組み合いが始まった。取っ組み合いの喧嘩のような、コンタクトのような。シャツを脱いで上半身裸になったふたりは、さて、ようやく男女の関係になるのかと思いきや、相手の贅肉をつかみあっている。それでも次第に官能的なデュエットになる。これが素敵だった。しかしまた元の不器用なふたりに戻って、相手の動きをぼーっと見ていたり、間の抜けた対応をしてみたり。後半少し長く感じたが、微笑ましいふたりの関係と独特な作風が気に入った。(6月16日Théâtre de l’Aquarium)


©Nans Bortuzzo

長座姿勢の女が軽く微笑んだまま、ゆっくりと時間をかけて上体を倒し、床に横たわった後は、猫のようにしなやかにポーズをとる。こんな始まりに期待したのだが、アイディアの羅列になり、テーマが絞りきれていないように思った。
猫のようにしなやかな動きをした女性が、グラビア雑誌のモデルのようにポーズをとり、横に控えていた別の女性が、真似てポーズをとるが、これが全く色っぽくなく、個性の違いの面白さがあったのだが、この後でてきた男性ふたりが加わってからの延々と続くスネークムーブメントや、相手を避けるような動き、そして大声を出して相手を驚かせるシーンが内輪の遊びに見えて、伝わってくるものがなかった。 伝染、感染という意味のタイトルから、ひとりが始めた行動を別の人が真似して次第に広がっていく様子を描きたかったのだと思うが、そこから発展するものがなく、動きの羅列に終わってしまったように思う。ただ、最後に女性が両腕を横に広げて自転しながら民謡のような、シンプルなフレーズを歌い出し、この歌が素敵で、かなり長い間歌っていたこともあり、知らず識らずのうちに頭に刻み込まれたようで、会場を出た観客が誰ともなくこの歌を口ずさんでいた時に、ああ見事に感染したなと思った。これが作品の目的だったのだろうか。(6月14日Théâtre du Soleil)


©Vincent Curdy

杉本博司のジオラマにインスピレーションを得て、狩猟自然美術館での上演というのもいい。「歴史的建造物で公演を」という企画の一環とジュン・イヴェンツの提携による合同企画だ。噂には聞いていたが、狩猟自然美術館には半端でない数の動物の剥製が陳列している。そこでふたりの女性ダンサーがじっと剥製と向き合う。次の部屋に移動するときは、動物のように歩いている。イノシシと向き合い、白熊と対面し、壁一面に飾られた鹿の頭を見上げ、展示室を移動しながらのパフォーマンスだ。剥製と向き合って動かないダンサーをじっと見るのではなく、博物館を自由に散策しながら、その中にダンサーが演じているのを感じるという作品の趣旨を理解した上で見学しないと、面白いものもつまらなくなってしまう。やがて少し広い展示室でふたりの踊りが始まった。向き合って威嚇しあうような動きをしたり、尻をつけまわすような動きをするのだが、人間なのか動物なのか中途半端なために、杉本の作品のような錯覚に陥る面白さがなかった。
狩猟自然美術館には、動物の剥製や狩猟に関する武器や道具、絵画が展示されている。まるで生きているようなライオンの剥製は必見。また、当時の猟銃の美術品ともいえる装飾には目をみはる。実物大のキリンの模型はそのお腹の中に登れるので、その大きさを体験できるのと、上階に上がるとキリンの首がにょっきり床から出ているのには笑える。正直なところ、19世紀の西洋人がアフリカ人を従えて狩猟をすることに優越感を得るような当時の様子を描いた絵画はいただけなかったけれど。(6月15日Musée de la chasse et la nature)


©Patrick Berger

モントリオールの若い才能で、売れているようだけれど、フレンチテイストとはちょっと違うような気がした。体の一部が麻痺しているのか、ずるずると変な動きをしながら這ってきて、ガサゴソとビニール袋をかき回せば、予想もつかないものが出てくる。メリーポピンズの鞄ならぬ、ビニール袋という感じで、小物だけでなく、卓上ライトまで出てきた。塩の入った袋を棒で叩き潰してばら撒き、生姜を突き刺して投げ、漫画のフィギュアを出して飾り、マイクで変な声を出す。暗闇の中、這うようにして移動して、明かりがつけば毛皮のジャケットを羽織って顔写真のついた縦長の帽子をかぶってヘンテコ歩き。机にしがみついて移動させて、小麦粉を練るように青いものを練って小麦粉や水をぶっかけて、そこに顔を突っ込んで。でもだからそれが発展するのではなく、それを投げ捨てて終わり。これでお菓子でも作ってくれたら面白かったのになあ。テントに入ってDJのように喋って、暗転になればその下で倒れている。カツラをかぶっていて、ヘロヘロ歩いて照明機材の中に潜り込んで、そこに隠してあった衣装を着て、ヘンテコに延々と歩いて終わった。たくさんのアイディアとオブジェだけれど、そこから連想したり感じるものがなくて、ちょっと消化不良。フレンチ・ノンダンスとは違うところに戸惑ったからかな。(6月16日Théâtre du Soleil)


©Camille McOuat

コンクールの結果は、審査員によるものだとつくづく思った。前回のダンス・エラルジーが超アバンギャルドだったのだが、その反動か、今回はダンス的でまともな作品が多かったように思う。
パリ会場の1週間前に韓国会場でも行われ、フランスにおける韓国年のパワーを改めて感じた。今年は50カ国から480団体の応募があり、毎回応募者が増えている中、パリ会場でのセミファイナルには17組が選ばれ、翌日のファイナルには9組が残った。審査員には、ダンス関係からはアメリカのルシンダ・チャイルズ、韓国のユンーミ・アン、アルゼンチンの劇場ディレクターのティアゴ・ゲデス、俳優・演出家のヴァンサン・マケーニュ、造形美術家のリー・ビュル、音楽家のヤンキュー・ジャング、音楽家・振付家・俳優のドロテ・ミュナネザの7人。これに一般から選ばれた9人が加わっての審査となった。

17日のセミファイナルは11時半からテアトル・ドラ・ヴィルで始まり、1時間15分の休憩を挟んで、終了は夕方5時15分。時間にルーズなフランス人と言われるが、きっちり予定通りに始まり終わったのには感心した。ファイナルに残らなかった秀作もあるので、セミファイナルを見る方が絶対に面白い。
賞に輝いた作品から独断偏見に基づく批評を手短に。

第1位 
Mithkal Alzghair「Déplacement」

シリア/トルコの振付家ミトカル・アルゼールによる3人の男性ダンサーによる作品で、ゆるゆると両手を上げて、フラフラと頼りなく歩いている。時々コンタクト的な動きを入れながら、足元がおぼつかなかったのが、やがてフォークロアダンスのようになり、ゆるゆると上げた両手がホールドアップにも見えるし、踊っているようにも見える。現在のシリアやトルコの状況を連想して、時勢にあった社会的な作品だと思うが、ここ数年、アラブ諸国の振付家によく見られる傾向の作品で、ステップをフォークロアダンスに見立てた振り付け作品をすでに何本か見ていたので、これといって新しいものを感じなかった。


「Déplacement」©Laurent Philippe

第2位
colectif (la) Horde/ Marine Brutti, Jonathan Debrouwer, Arthur Harel 「To be done」

3人のアーティスト集団によるものだが、国籍を見るとフランス、ケベック、ハンガリー、オランダ、ポーランド、ウクライナで、島国日本に育った私には驚きの多国籍。バスケットシューズを履いた10人の集団が、ひとつに固まってリズミカルに足を前後に動かしながらジャンプするだけ。数人の方向が変わったり、全員がピタリと合ったりの一種のマスゲーム的作品。確かにマスゲームの魔力に巻き込まれたが、フランスではあまり見られない集団の動きが物珍しかったのかしら。


「To be done」©Laurent Philippe

第3位と観客作品賞
Lyon-Eun Kwan (韓国)「Glory」

ダンステアトル的でセリフがあるのだが、状況を説明するには絶対不可欠。男がマイクでいうには、韓国には2年の徴兵制度があり、ダンスコンクールで優勝すれば徴兵は免れるので、中央にいるダンサーはトレーニングを積んだが、あいにく2位だった。がっくり。それで仕方なく徴兵に応じる事になった。韓国語とフランス語で解説する男の説明通り、白いトレーニングパンツの男は、高テクニックで素晴らしく素敵なダンスをさらりと踊った後に、がっくり肩を落として、仕方なく徴兵に応じる。「構え!」「用意!」と軍隊式の号令とともに、控えていたもうひとりの男と組んで、次々と取るポーズは、軍隊そっくりのバレエの基本ポジション。足を水平に挙げて腕を引けば、銃を構えている姿になるけれど、どう見てもベースはクラシックバレエ。バットマンやアラベスクが軍事訓練につながるとは思いもしなくて、このギャップに爆笑。最後は爆弾のようなボールを手渡ししながらの軽いジョギングで(写真で見るとスイカにも見える!)、爆発しなければ爆弾でもボール遊びができるわけだけれど、ラストにもう少しパンチがあればよかったのになあ。


「Glory」©Laurent Philippe

観客賞・技術賞のダブル受賞
Eirini Papanikolaou「Anthemoessa」

ギリシャの振付家。記念写真を撮るかのように椅子に座った女性を囲む3人の女性。満員のバスに乗っているかのようにカタコトと揺れては、ブレーキがかかったのかぐわっと反ったり、首が流れたり。それがだんだん激しくなり、どうやら彼女たちは強風の中にいるらしい。時折吹く風に必死に耐えながら、ガサガサと風に吹き飛ばされそうになる紙の束を手放すまいと必死に抱えている。時々ぐちゃぐちゃになった紙が落ちて、その風の強さを物語っている。それだけで見せるとは、なかなか面白いと思ったが、やはりギリシャの国民的アーティスト、ディミティリス・パパイオアノウの作品を思い出したので、これもまたオリジナリティに欠けると思ったが、技術賞とは洒落た賞を取ったものだ。


「Anthemoessa」©Laurent Philippe

受賞を逃したが、ファイナルに残った中では、モー・ブランデルの「タッチダウン」はが面白かった。チアーガールを模したミニマルダンスで、夜のスタジアムにいるような白い強烈なライトが斜め上方から射す中、チアーガール風衣装の五人がラベルの「ボレロ」をアレンジしたリズムに乗って揃って踊る。もちろんベースはチアーガールの動き。繰り返される音と動きにライトの変化と動きのアクセントをつけて、うまくまとめていた。


「タッチダウン」©Laurent Philippe

ローラン・セベの「Les gens qui doutent」は、アマチュアがどこまで演技できるかということがテーマだが、動けるし歌えるし演技できるなかなかの役者揃いの団体で、日常の会話に伴うジェスチャーをして、それを逆回しの繰り返し。悪くない。


「Les gens qui doutent」©Laurent Philippe

ジャスミナ・クリザイとクリスティーナ・プラナス・レイタオの「The very delicious pièce XL」に見られるように、動きの面白さより、女性たちが震えながら叫び歌うというストイックなアイディアが受けるのかもしれない。マイクを持って声を発していたのが、体が震え始め、立っていられなくなって倒れても、押し倒されても、マイクがなくても歌い続け、挙句の果てはアカペラで怒鳴りながらの熱唱。あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ったが、このような尋常ではないエネルギーが受けるのかも。


「The very delicious pièce XL」©Laurent Philippe

ヨアンナ・ファイとムスタファ・サイドの「Fact」は、ヒップホップ系のコンテンポラリー。一列に並んで、7人がそれぞれ大声で怒鳴っている。怒りをぶちまけているような感じ。そこからひとりずつ抜けてダンスとなり、それでもしゃべり続ける人の口を抑える。話をしたり、口パクの声なき会話だったり。構成など悪くはないが、新鮮さは感じられなかった。


「Fact」©Laurent Philippe

ロマン・ピシャール/カンパニー・ポピュリフォニア「Blue Monday」は、なぜ踊るのかがテーマというが、叫んでディスコダンスをするだけの、わざとらしい演技が好きではなかった。


「Blue Monday」©Laurent Philippe

ファイナルに残らずとも面白い作品はあった。特にジャン・オスタッシュとガランス・シルヴィの「春の祭典」は、出演者たちが「春の祭典」を歌いながら踊るというもので、ソロありコーラスあり、群舞あり。あの独特な曲調を声で表現し、しかも曲をそのまま踊りにしたような振り付けは見事で、動きから音が想像できるようなリアルさが驚きだった。


「春の祭典」©Laurent Philippe

美術的でお洒落だったのが、アトリエ37,2の「Graft, danse d’une espèce à venir」。白い棒をいくつも重ねたオブジェで顔を隠したダンサー達が、ゆっくりと動く。オブジェは固定されているので、ダンサー達の移動はなく、体の方向が変わったり、伸び縮みするだけなのだけれど、モノトーン系のビジュアルとゆったりした動きと音楽が、美術品を鑑賞しているような気分にさせてくれたのが心地よかった。


「Graft, danse d’une espèce à venir」©Laurent Philippe

コンサート会場にいるような気分にさせてくれたのが、ギリシャのクリストス・パパドプーロスの「Opus」。4人の黒服の男女の腕の白さがバイオリンを弾く動きにも見えて、バイオリンの曲がそのままダンスになったような優雅なダンス。最後まで同じリズムだったので少し長く感じてしまったが、シンプルで素敵だったのに、これもファイナルに残れない。ダンスの新たな面を追求するコンクールとしては、まともすぎたのかもしれない。


「Opus」©Laurent Philippe

韓国のDal Projectの「Erase the moon」では、白い作業服を着た人たちが、黒い大きな月が描かれた絵の前で、記念撮影しているみたいにポーズを取っていたが、目覚ましのピピっという音とともに、せわしなくバケツとはしごと絵の間を走り回り、黒い部分を白く塗りつぶしていく。別の目覚ましのピーピーいう音が重なり、彼らの動きもさらに忙しくなり、また目覚ましが鳴り…。7つか8つの目覚まし音がやたらうるさい中、はしごを動かし、登って降りて、締め切り時間に間に合わせようとせわしなく続く作業は騒々しいが、ここまでやってくれれば文句は言えない。目覚まし時計の音が切れたところでゲームオーバー。疲れて床に倒れる人、呆然と絵を見つめる人。ほっとする人。観客もほっとしたと思う。しかし、これで終わりかと思ったら、全く同じ絵がスルスルと降りてきた。え? またやるの? 目が点になった出演者のひとりが白いペンキを投げつけて終わり。会場は爆笑だった。


「Erase the moon」©Laurent Philippe

ポーリーヌ・コーヴェレック「Black and light」
司会者の「最前列は避けたほうがいいです」という言葉に、水でも飛び散らかすのかと思ったが、そうではなかった。真っ暗な中にぼんやりするものがふわふわ。35人参加の大作、しかも生演奏で、ギター、ベース、トランペット、ドラム、バイオリン付きの豪華版。丸いものや細長いものが幽霊のようにふわふわして、最後に大きな人の形になる。一瞬ついた明かりで、蛍光ジャケットのようなものを着て暗がりの中で動いていたことが判明。この種明しのために最前列は避けた方が良いということだったのだ。なかなかのアイディアもの。


「Black and light」©Laurent Philippe

韓国人とフランス人の合同作品「Moloch」(演出マリオン・ショーヴァー、台本ヴィオレーヌ・シュワルツ、振り付けアナミール・ファン・デ・プリュジム)は、 白いシャツを何枚も広げて円を作り、その真ん中にピンクの布と、ビジュアル的に綺麗だった。フランス語、英語、韓国語で社会問題や政治スキャンダルなどを喋り、韓国の太鼓に合わせて、踊ったり動いたり。それぞれの主張は面白かったが、インパクトに欠けたように思う。


「Moloch」©Laurent Philippe

ポール・シャングラニエの「home」は、夫婦のすれ違いを描いた作品で、部屋を連想させる白い囲いの中での物語。ドラムの男が叩き始める瞬間のポーズで止まる始まりに期待したが、カクカクとコマ送りの動きの男女の振りからさらに発展するものは見られなかった。


「home」©Laurent Philippe

ピエール・ピトンの「capillotractée」は、4人の若い女性が、息を止めたりディスコまがいに踊りまくり、最後はライトを4つ使って、ボールを後ろに投げたり、3人並んで大声で喋るだけのもので、冗長に感じた。


「capillotractée」©Laurent Philippe

全体的にとてもダンス的で「まとも」な作品が多く、見応えがある反面、エラルジーという意味においては不満足だった。セミファイナルの結果を待つ間に、韓国プラトーでの受賞者の作品の一部が流れたが、これが驚きのアバンギャルドで、これが踊りか? という作品が受賞していた。
3位はベルギーのガエタン・ブルードの「Spoiled spring」で、モヒカンふんどしとヘンテコ衣装の女性ともう一人が、春の祭典アカペラ版を演奏する。アルミの菅を叩いたり、バケツで音を出したり。
2位はモーリス諸島のヒッピホップ、Samuel & Mathieu Joseph et Jeff Armand「Libre sans toi-T」。ビデオで見る限り、まともなダンスだった。
1位は、韓国のJeong Seyoung「Deus ex machina」。どう見てもダンサーとは程遠い男3人が、「アクロバット・テクニック」というタイトルで、ひとりは電気ポットで湯を沸かすだけ。次のシーンは「leap」で、床に横たえられた首振り扇風機の首が回らなくなってカチカチという音を出すだけ。最後の「ホップ、ジャンプ」では、降りてきたバトンにひとりがぶら下がり、バトンが上がって降りてくるだけ。で、終わり。これはすごい、さっぱりわからない…。
観客賞は台湾のChien-Hao Changの「Bout」で、リングでの戦いをベースにしたコンタクト。ダンスのような戦いのような。Chien-Hao Chang はChang dance Theaterのひとりで、2012年のダンスエラルジーファイナリスト。ここの3兄弟は揃って身体能力の高いダンサーだったのを思い出した。今後の活躍を期待したい。
作品の一部が流れただけだし、ビデオなのではっきりしたことは言えないが、なかなか刺激的な韓国プラトーだったと思う。数年後には、世界各地にプラトーができて第2の国際バニョレ振り付けコンクールになるのではないかと、そして、私のダンス観念が根本から崩されるのではないかと、期待するやら不安になるやら…。今までにないようなアイディアがあれば、ぜひ2018年版に立候補を! 詳細はインターネットにて。

1er prix : Mithkal Alzghair 「Déplacement」
2ème prix : Colectif (la) Horde / Marine Brutti, Jonathan Debrouwer, Arthur Harel 「To be done」
3ème prix : Lyon-Eun Kwan(韓国)「Glory」
prix public : Eirini Papanikolaou「Anthemoessa」
Prix public Prix du public mention spectacle : Lyon-Eun Kwan(韓国)「Glory」
Prix des techniciens : Eirini Papanikolaou「Anthemoessa」

Finaliste :
Jasmina Krizaj, Cristina Planas Leitao (slovenie/ Portugal) : <The verydelicious pièce XL>
Johanna Faye / Mustapha Saïd Lehlouh (France) : <Fact> Finaliste
Laurent Cèbe (France) : <Les gens qui doutent>
Cie Popùliphonia / Romain Pichard : <Blue Monday>
Maud Brandel (Swiss/Belgique/Portugal/France) <Touch Down> Finaliste
Jasmina Krizaj, Cristina Planas Leitao (slovenie/ Portugal) <The verydelicious pièce XL> Finaliste

9月13日から10月1日まで開催される第17回リヨン・ダンスビエンナーレ。あいにく舞踏はないけれど、国際色豊かに様々なジャンルのダンスが集結している。アンジェのCNDによるモーリス・ベジャールとエルヴェ・ロブの作品を皮切りに、リヨン・オペラ座バレエ団はアレッサンドロ・シアローニとマリナ・マスカレルの新作、伝統的フラメンコのイメージを変えているイスラエル・ガルヴァンの「フラ・コ・メン」。昨シーズンのパリ公演中に怪我をして公演が中止になったので、見逃した方はぜひここで。好評を博したティエリー・マランダンの「美女と野獣」では、兼井美由季の踊りが見逃せない。CCNを離れて身軽になったジャン=クロード・ガロッタとカロリン・カールソンの後を継いでCCNルーベを仕切るオリヴィエ・デュボア、レ・バレエ・Cデラ・Bのアラン・プラテルは新作を発表する。ヤン・ファーブルは展示を兼ねた新作を1日だけ発表するが、これが競輪場で、しかも入場無料というのも気になる。どんなソロを見せてくれるのか。アクラム・カーンの「CHOTTO DESH」は、本人が踊ったソロ「DESH」をベースにした作品。アバンギャルドさが受けているセシリア・ベンゴレアとフランソワ・シェニョーや、ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団のクリスティーナ・モルガンティの新作も是非見てみたい。注目の伊藤郁女の「私は言葉を信じないので踊る」は、リヨン市内から車で15分ほどのIRIGNYという町で上演される。ここでも伊藤父娘旋風が巻き起こるかもしれない。ユヴァル・ピック、ヴァンサン・デュポン、ロイ・アサフ、クリスチャン・リゾー、ダニエル・ラインハン、ジョナ・ボケール、マリオン・レヴィなど、この間はリヨンに移り住みたい気分になる。
これ以外にもヒップホップ、アクロバットやサーカス、マリオネットなど、パリでは見られない作品がずらり。なお、地域圏統合により、近隣の都市でもビエンナーレの一環として シャモニー、グルノーブル、クレルモン=フェランまで含めて10月まで作品が回るので、情報は綿密にキャッチしたい。
なお、恒例の町をあげてのデフィレは、9月18日午後2時から。

http://www.biennaledeladanse.com

 

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